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松下康雄さん死去

拓銀、山一など破綻処理 日銀法改正も

松下康雄さん

 元日銀総裁で、大蔵省(現財務省)事務次官や旧太陽神戸銀行(現三井住友銀行)頭取も務めた松下康雄さんの訃報が25日伝わり、故人を知る関係者から悼む声が相次いだ。

     松下さんが日銀総裁を務めた1994年12月~98年3月は、バブル崩壊後の景気低迷が続き、銀行の不良債権問題が金融危機にエスカレートしていく強烈な逆風の時期と重なった。松下さんは就任翌年の95年、公定歩合を当時としては前例のない低さの年0.5%まで引き下げるとともに、兵庫銀行や木津信用組合など、相次ぐ金融機関の破綻処理に取り組んだ。

     最大の試練は、97年11月に訪れた。北海道拓殖銀行や山一証券といった大手金融機関が破綻し、日本経済は金融機関が連鎖倒産する金融システム崩壊危機に直面した。当時、日銀信用機構課長として危機対応にあたった中曽宏・前日銀副総裁(大和総研理事長)は「金融システムのメルトダウンを回避するため、昼夜、週末を問わず相談にうかがった。緊迫した状況にもかかわらず常に落ち着いて、冷静で的確な判断を下された」と振り返る。山一証券に対しては、信用秩序維持の観点から日銀特別融資を断行。世論の反発を恐れて政府が公的資金投入に踏み切れない中、大胆な判断が危機の連鎖を食い止めた。

     松下さんが総裁として取り組んだもう一つの大仕事が、政府からの独立性を高めるための日銀法改正だった。円高対応のため金融緩和を強く求める政府への過度の配慮が80年代のバブルを生んだとの教訓も背景に、「日銀の独立性への疑念が払拭(ふっしょく)されないと、政策の有効性を阻害しかねない」と主張。97年の日銀法改正(98年4月施行)にこぎつけた。

     元日銀金融研究所長の翁邦雄・法政大客員教授は「判断の的確さは水際立っていた。日本経済が順調な時期なら、名総裁の評価を得た可能性が高い」と評する。大蔵官僚時代は、各省庁の予算要求の伸び率をゼロに抑え込む「ゼロシーリング」を打ち出し、太陽神戸銀行頭取として旧三井銀行との合併を実現させるなど、リーダーシップを発揮した。98年3月、日銀職員の接待汚職事件の責任を取って任期半ばでの退任を強いられた際には、わびる幹部に「総裁はこうした時に責任を取るのが仕事なのだよ」と屈託無く語ったという。

     引退後は日銀OBの会合にも出席していたが、近年は体調を崩していた。【坂井隆之、土屋渓】

    増渕稔・元日銀理事の話

     1994年から3年超、信用機構局長(現金融機構局長)としてお仕えした。当時は金融機関が危機的状態にあったが、松下さんは「日銀が最大限の力を振り絞って対応しないといけない」と終始揺るがない意志を持っておられたので、本当に仕事をしやすかった。

     山一証券破綻の際、日銀特融の適用によって金融システムの大崩壊を防げたのは、松下さんが総裁でいたことが大きかった。融資が全額返済されない恐れがあり日銀内でもためらいがあったが、松下さんは「金融システムの安定には必要不可欠な対応だ」と言って決断した。また、内外の信頼回復には主要銀行への公的資金投入が必要と強い姿勢を持っていて、それが98年3月に実現したことが、その後の大規模投入に道を開いた。

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