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プーチンのロシア

「グルジア紛争」10年/1 勢力拡大、信義は失墜 強硬戦術、先見えず

アブハジアとジョージアの境界の橋では行き来する人や車両が見られた。手前がアブハジアで、ロシアの国境警備隊が控えていたが、撮影は許されなかった=アブハジア東部ガリで7月25日

 気温が40度近くまで上がる中、膨れ上がった荷物を手にした一家が徒歩で「国境」の橋を渡っていく。橋の手前にある検問所にはジョージア(グルジア)からの分離独立を目指すアブハジアの国境警備隊が詰めているが、橋により近づいた「国境」付近にはロシア兵が控えていた。アブハジアの人々が頻繁に口にする一言が現実の光景として見えてきた。「ロシア軍が我々を守ってくれている」

     2008年8月にジョージアと軍事衝突した後のロシアは、アブハジアだけではなく、ジョージア領内のもう一つの未承認国家である南オセチアへの肩入れを強めている。

     両地域では1990年代前半に内戦が起こり、ジョージアから実質的な独立を勝ち取ると、ロシア軍が平和維持軍として駐留を始めた。08年の紛争後にロシアが両地域の独立を承認すると、今度は同盟軍として駐留。14年にはロシア・アブハジア統一軍を作ることで合意した。

     「ロシアとの統一軍は我が国が何の妨げもなく経済発展していくための環境を整えるものだ」。アブハジアのハジムバ大統領は7月下旬、毎日新聞のインタビューにこう発言した。15年には50億ルーブル(約88億円)を投入し、総勢6500人規模のアブハジア軍の近代化に着手したとも伝えられる。ただし軍関係者によると、統一軍はジョージアとの軍事衝突に備え、協力の枠組みを整えた段階に過ぎない模様だ。

     ジョージアとの軍事衝突の発生から9年となった昨年8月。プーチン露大統領も初めてアブハジアを訪れ、安全保障に関与していく姿勢を鮮明にした。ロシア国内では両地域への関与について「他国との関係を悪化させたとしても、ロシアとアブハジアの安全を強化してきた」(モスクワ国際関係大のムハノフ上級研究員)との評価も聞かれる。

     10年前に起きた紛争は近年のロシア外交の分岐点となった。ロシア軍は攻撃を受けた南オセチアを救援しただけではなく、ジョージアの支配地域まで攻め込んだが、欧米諸国は制裁発動まで踏み込まなかった。これが「(14年に起きたウクライナ南部)クリミアの編入を許す前例となってしまった」。08年時にジョージア政府の官房長官だったペテル・マムラゼ氏は指摘する。

     欧米諸国が効果的な抑止策を取れないことを尻目に旧ソ連圏内へ介入を続けるプーチン政権。独り勝ちを続けているのだろうか?

     「プーチン氏は戦術を立てるのはうまいが、戦略はうまくない」。モスクワに駐在していた外交筋はこう評価する。自らの勢力圏を拡大し「戦術」としては成功した。だが欧米諸国との関係が損なわれ、かつての同胞ジョージアやウクライナとの信義を失い、「戦略」としては成果が疑問視されるというのだ。ロシアが続ける強硬策の代償は決して小さくない。【アブハジア東部ガリで大前仁】=つづく

        ◇

     冷戦後のロシアが初めて外国に侵攻した「グルジア紛争」の発生から7日で10年。残された課題を探る。


     ■ことば

    グルジア紛争

     ソ連崩壊(1991年12月)に前後して、ジョージア(グルジア)政府が進めた民族・言語政策を巡り、領内の南オセチアとアブハジアの支配勢力が反発。91年には南オセチア、92年にはアブハジアと武力衝突が起こり、両者が実質的な独立を手にした。

     こうした背景からジョージアは2008年に南オセチアを攻撃。ロシアの軍事介入を招き、アブハジアからも攻撃され、両方面で一部支配地域を失った。ロシアは後に両地域を独立国家として承認。ロシアとジョージアは国交断絶した。日本政府は15年にグルジアの呼称をジョージアに改めた。

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