メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

記者の目

広島・被爆記者のこだわり 癒やしがたい73年の煩悩=山野上純夫(元毎日新聞宗教担当 編集委員)

1951年夏に発病して病名不明のまま病院を転々とし、約2年後に「原爆による再生不能性貧血病」と診断された中学1年生の行広澄江さん。初めて、原爆による内科疾患患者に対する国家補償の対象となった。治療は難しく、54年2月、14歳で亡くなる=53年6月、山野上純夫撮影

 73年前、広島に原爆が投下された時、現地には空襲警報も警戒警報も発令されていなかった。なぜかについては諸説がある。歴史に「もし」はないと知りながら、被爆者の一人としてずっと、「もし警報が発令されていたら」にこだわり続けてきた。

旧制中で授業中、級友2人を失う

 旧制広島高等師範学校付属中(現在は広島大付属中・高)に特設された科学学級4年生の私たち26人は、軍需工場への動員を免除され、午前7時から有機化学の授業を受けていた。現在の広島市中区東千田町にある、爆心地から1・4キロの木造校舎2階だった。爆心と反対側の棟だったので爆風は弱められ、倒壊した校舎の下から脱出できた。だが、級友2人を失った。

 私たちは授業を受ける権利を与えられる一方、万一の時は校舎を守る義務を負っていた。警報が発令されていたら授業は中断、全員が校庭に出てそれぞれ配置についていたはずだ。私は爆風と熱線をまともに浴びたに違いない。

 この時に爆心の真下では、市内の旧制中学校、同女学校の低学年生や高等小学校の児童・生徒が、陸軍の命令で家屋取り壊し作業をしていた。犠牲者は約6000人。警報が出ていたら作業は中止、自宅待機となり、爆心から離れた地域の居住者は死を免れたはずである。なぜあの朝に限って警報が出なかったのか。

 私は今、広島などの地域面に「ヒロシマを生きて 被爆記者の回想」という手記を連載している=毎日新聞のニュースサイトにも掲載。私は大学卒業後、毎日新聞記者となって広島市の復興が軌道に乗るまでを取材したが、被爆直後からこの時期までに知り合った人々との交流の思い出を記すものだ。その執筆を通じて感じたことを、記者生活後半の宗教専門記者の経験もからめ、総集編的視点でつづることにする。

 広島市安芸区在住の歌人・梶山雅子さん(当時は中本姓)は85歳の今も、原爆で失った友を追憶する歌を詠み、平和学習で広島を訪れる児童や生徒にノー・モア・ヒロシマを説き続ける。被爆当時は女学校の1年生だった。

 梶山さんは盲腸炎で、原爆ドームの東隣の島病院で手術を受けた。被爆前日の8月5日、教師から指示を受けた。「術後のあなたに、家屋取り壊し作業は無理だ。明日は自宅待機をしなさい」

 爆心地から1・8キロの自宅にいた梶山さんは死を免れた。もし発病が遅かったら、梶山さんは爆心地のベッドの上で被爆しただろう。逆に早かったら、当日は全快して作業に参加し、被爆したはずだ。発病のタイミングが、生と死の分かれ目になった。

 梶山さんの同級生で、郊外の駅から通学する仲良し2人組があった。6日朝、乗車駅の前でAさんが言った。「体がだるい。今日は作業ができそうにない」。Bさんが応じた。「先生に連絡しておいてあげるから、家へ帰って休みなさい」。当時は食糧難で、育ち盛りの生徒は空腹とだるさに悩んでいた。

 気力を振るって作業に参加したBさんは原爆の犠牲となり、梶山さんやAさんのように休んだ者は生き永らえた。これはどの学校にも見られたことだ。

生き残った生徒、故人の親と葛藤

 戦後、各校はそれぞれ新制高校となり、毎年の原爆忌には慰霊祭が行われる。だが招かれた死没者の親と生き残った生徒、いわゆる“生き残り組”との間には、率直に語り合えない雰囲気が生じていた。私はそれをひそかに「ヒロシマの煩悩」と名づけた。その煩悩の存在に、多くの市民が気づいていながら、口に出すことがはばかられた。いわば「ヒロシマのタブー」と呼ぶべきものだった。

 原爆が落ちると知って作業を休んだのではない。休んだ者が原爆投下を招いたのではない。そのことはよくよく分かっている。それなのに“心の被爆”の傷口は癒やしがたいものがある。

 広島大教育学部在学中に短歌の勉強を始めた梶山さんは1977(昭和52)年、被爆三十三回忌の年に出版した第1歌集「花時計」の中で初めてこの煩悩とタブーを歌に詠み込んだ。「『全滅のクラスと聞いておりました』怒りを秘(ひ)むる亡友(とも)の母の瞳(め)」「あなたは生きていたのですか どうしても行くとあの娘(こ)は逝ったのです」……。

 “心の被爆”の実相を戦後生まれの女性哲学者に話したことがある。彼女はこともなく言葉を返した。「そういう人たちの間で心の交流ができない時期があったとは信じられません。みんなで、原爆を落としたアメリカへの抗議の心に結集すればよかったのに」と。

 私は思った。体験者同士でないと、当時の思いを分かり合うことは難しいのかなあ、と。仏教には文字で明らかに説き示された顕教(けんぎょう)と、言葉や文字では容易に把握できない密教がある。“心の被爆”のような奥深い心情は、真言宗を中心とする密教のように「その境地に達した者同士でないと分かち合えない」ものがあると言えそうだ。特に家族を失った人の嘆きは、73年後の今も消えることがない。数え年90歳で卒寿を迎えた今、私はしきりにそれを思う。

コメント

投稿について

読者の皆さんと議論を深める記事です。たくさんの自由で率直なご意見をお待ちしています。

※ 本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対して毎日新聞社は一切の責任を負いません。また、投稿は利用規約に同意したものとみなします。

利用規約

毎日新聞のアカウント

話題の記事

アクセスランキング

毎時01分更新

  1. 日産会長逮捕 ゴーン神話「数字の見栄え良くしただけ」
  2. 高校野球 誤審で甲子園行き明暗…終了一転逆転 岡山大会
  3. 全国高校サッカー 県大会 西京、5年ぶり全国切符 高川学園の猛攻しのぐ /山口
  4. ゴーン会長逮捕 日産社長「私的流用、断じて容認できない」 会見詳報(1)
  5. 高校野球 練習試合で頭に死球、熊本西高の生徒が死亡

編集部のオススメ記事

のマークについて

毎日新聞社は、東京2020大会のオフィシャルパートナーです