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西日本豪雨

「ダムは安全」説いた責任 元町長1人自宅に

泥にまみれた「野村郷土史」をめくり、過去の洪水について説明する池田忠幸・元野村町長=愛媛県西予市野村町野村で2018年8月3日午後8時5分、中川祐一撮影

 「『ダムは安全』と言い続けた責任がある。逃げ出すことはできない」。肱川(ひじかわ)の氾濫で5人が犠牲になった愛媛県西予市野村町地区。上流の野村ダムの着工当時、合併前の旧野村町町長だった池田忠幸さん(91)は浸水した自宅に1人残り、2階で暮らし続けている。建設を進めた町長としての責任を背負い、「住民から疑問の声があればありったけの力を振り絞って答える」との思いで、避難所には行かず自宅にとどまる。

 7月7日朝、満水に近づいた野村ダムは緊急的に流入量とほぼ同量を放流する「異常洪水時防災操作」を実施。一時、過去最大の毎秒1797立方メートルを放流し、地区中心部が浸水した。住民から「人災では」との声も上がり、国土交通省の野村ダム管理所と市が9日夜、住民説明会を開く。

 肱川はもともと「暴れ川」だった。戦前から戦後間もなくの間に洪水が相次ぎ、住民からは、治水のためダム建設を求める声が上がったが、要望は受け入れられなかった。

 しかし、現在の西予市など県南部で1960年代に干ばつが相次ぐと、国は一転、利水のため建設を求めるようになった。今度は住民らがダム決壊の恐れなどを理由に反対。説得に当たったのが池田さんだった。安全性を訴え、73年に着工。82年に完成した。

 それから40年近く。洪水を防ぐと同時に県南部に農業用水を供給し、干ばつも防いできた。池田さんは今回の国交省のダム操作や避難の呼びかけ方については疑問を呈しながら、「造ったこと自体を謝るようなことはしたくない」と話す。地域に恩恵をもたらし続けたという自負がある。

 住民の多くが浸水した家には住めず避難し、夜になると周囲は真っ暗。明かりが付いているのは池田さんの家と数軒だけだ。妻も施設に入っている。それでも「寂しさよりも責任を感じる気持ちの方が強い。『ダムがなければ……』と誤解を残したままあの世にはいけん」。【山田毅、中川祐一】

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