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質問なるほドリ

満蒙開拓団って? 国策で「満州国」に入植 敗戦後に逃避行、8万人犠牲=回答・佐藤良一

 なるほドリ 8月15日の終戦記念日(しゅうせんきねんび)が近づくと、中国残留孤児(ざんりゅうこじ)の話題を耳にすることも多いけど、それに関係して出てくる「満蒙(まんもう)開拓(かいたく)団(だん)」って何?

     記者 日本が1932年、中国東北部にかいらい国家「満州国(まんしゅうこく)」を樹立(じゅりつ)し、45年の敗戦までに全国各地から送り込んだ農業移民団(のうぎょういみん )です。27万人以上が入植(にゅうしょく)しました。

     Q どうして送り込んだの?

     A 29年の世界恐慌(せかいきょうこう)の余波(よは)で農村が困窮(こんきゅう)して農家の次男、三男の「行き先」が課題になり、政府が新たな耕作地として満州国を求めたとされます。

     Q 開拓はうまくいったの?

     A 満州国を事実上統治していた関東軍(かんとうぐん)は、開拓団に地元住民の反日活動を抑える治安維持と鉄道などの防衛を期待し、開拓団は銃や迫撃砲(はくげきほう)を持って入植しました。後期には開拓団を補充しようと国が数え年で15~19歳の青少年を集めて「青少年義勇(ぎゆう)軍」と名付けて送り出しました。

     Q 敗戦で、どうなったの?

     A 第二次世界大戦の末期には開拓団の成人男性は軍に召集(しょうしゅう)されました。敗戦時に残っていたお年寄りや女性、子供は、45年8月9日の旧ソ連軍侵攻と盗賊(とうぞく)の襲撃(しゅうげき)で逃避行(とうひこう)を強いられ、集団自決や飢餓、病気で約8万人が犠牲になったと言われています。その時、親と離別した少年少女が「残留孤児」になりました。

     Q 生還(せいかん)した人たちの戦後は?

     A 帰国しても農村に受け入れる余裕はなく、国内の新たな開拓地でも苦労した人は多かったそうです。民間人の開拓団を戦地に送り出した責任(せきにん)は誰もとっていません。国策(こくさく)の責任の所在(しょざい)が曖昧(あいまい)なのは、昔も今も変わりません。(米沢通信部)


    満蒙開拓団・青少年義勇軍の都道府県別人数

     「満洲開拓史」より (上位)

               合計     開拓団   義勇軍

     (1)長野 3万7859人 3万1264人 6595人

     (2)山形 1万7177人 1万3252人 3925人

     (3)熊本 1万2680人   9979人 2701人

     (4)福島 1万2673人   9576人 3097人

     (5)新潟 1万2651人   9361人 3290人

     (6)宮城 1万2419人 1万 180人 2239人

     (7)岐阜 1万2090人   9494人 2596人

     (8)広島 1万1172人   6345人 4827人

     (9)東京 1万1111人   9116人 1995人

    (10)高知 1万 482人   9151人 1331人


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