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ルアーブルでの祖父母の思い出を聞かせてくれたアガット(左)とビクトール。

 フランス北部ノルマンディー地方にあるルーアンという町に、フランス語習得のため4月から留学しています。新聞記者の仕事を離れ、語学学校に通う留学生活を日記風につづっています。

 平成で最後の「終戦の日」だった今年の8月15日は、同世代のフランス人カップルの家に招かれ、それぞれの家族に起きた戦後のできごとを話して過ごしました。話の舞台は、フランス北西部にあるルアーブルという大西洋岸の港町です。

 セーヌ川の河口に位置するルアーブルは、第二次世界大戦中にドイツ軍に占領されました。ノルマンディー上陸作戦から3カ月後、連合国軍が行った「奪還作戦」は激烈を極めました。その結果、町の中心部は空襲などで焼き尽くされ、5000人の市民が犠牲になり、8万人が家を失ったとされています。戦争が終わるとこの町をフランスの復興のシンボルにすべく、政府は「コンクリートの父」と呼ばれた建築家オーギュスト・ペレ(1874~1954年)に町の再建をゆだねました。先駆的なコンクリート技術や調和の取れた町並みが戦後の都市計画の抜きんでた例と評価され、2005年にユネスコの世界遺産に指定されました。

焼け跡の港町

 この港町に興味を持ったのは、個人的な理由がありました。今年92歳になる私の祖母は、戦争体験を尋ねると決まってむなしそうに「焼けてしもたで、なーんにも、あらへん」と言うのです。

 私は、三重県の津市という海辺の町で育ちました。1945年の春から太平洋戦争が終わる半月ほど前まで、津は断続的に空襲に見舞われて大勢の市民が犠牲になりました。祖母も家を焼け出されました。だから着物も洋服も靴もかばんも、祖母が若い頃に大切にしていたものを見たいと言っても、「空襲で焼けたからない」というわけです。それでもしつこく「何か残ってないの?」と聞いて出てきたのは、「田舎に疎開させていた」という家族写真でした。

 「焼き尽くされ、何も残らなかった」とフランス人がルアーブルを語るのを聞き、祖母の経験と重なる人たちがいるのかもしれないと思うと、ぜひ訪れてみたいという気になったのです。しかも、「アーブル」は古いフランス語で港の意味。故郷の津も、かつて港として栄えたことが地名の由来になっており親近感を覚えます。とはいえ、現在のルアーブルはフランスでは南部のマルセイユに次ぐ規模の商業港。津よりはむしろ石油化学コンビナートなどが知られる三重県北部の四日市市に似ているという感じがしました。

 ルアーブルで町の再建が始まったのは1947年。ペレとその弟子たちは、焼け出された人々が町に戻って来て生活をしやすいように、空襲前とほぼ同じ場所にランドマークとなる市役所や広場、港を配置しました。訪れた7月のある日は青空が広がり、大通りをカモメがよちよちと歩いていました。コンクリート造りの建物は高さが均一で、町並みに圧迫感はありません。高い空を見渡しながら広く清潔な歩道を歩くと前向きな気分になります。

ルアーブルのアパートの台所。大きな窓から光が差し込み、白で統一された内装には清潔感があります

 終戦直後の物資も職人も乏しい時代でしたが、住宅供給は特に急がれました。これに対応するため規格をそろえたコンクリート造りの工法が編み出されたといいます。建てられたアパートの多くは現在も人が住んでいますが、観光客のためにガイドさんの説明付きで見学できる1室があります。

ルアーブルのアパートの居間。左奥につながる子供部屋は扉で仕切ることもできます

 訪ねると、現在でも古びたところのないすてきなアパートでした。玄関を入ると、木の床や家具の風合いに心が和みます。居間は子供部屋や書斎などとつながりつつ、可動式の扉で仕切ることも可能。そして台所には窓から光が入り込み、「暗くて包丁を持つ手元が見にくい」なんてこともなさそう。窓辺には軽くご飯を食べたり帳面を付けたりできそうな小さな机があるのもうれしい。寝室の隣には風呂、風呂の隣に衣装部屋、と生活動線に沿って部屋が配置されています。説明によると、この間取りや設備は、その後に建設されたアパートのモデルとしてフランスで広まっていったということです。住む人の立場に立った機能と美しいデザインに、多くの人々がひかれたのでしょう。

 ところがこの町、私の周りの人々からの人気は今ひとつです。フランスでどこが好きかと尋ねられ、自信を持って「ルアーブル!」と答えると、だいたい納得いかないという顔をされます。

オーギュスト・ペレが設計したルアーブルのアパート。世界遺産として知られる今では、家賃が上昇しているということです

 「落ち着いた町並みが私も大好きだよ」と言ってくれたのは、今のところ前回のブログにも登場したサーカス好きのキャロリーヌだけ。「なんで?あそこに何かあるの?」とか、「建物がどれもグレーで好きになれない。私は明るい色が好きだ」とか言いたい放題。「新しい町なのに、なぜあれが世界遺産なのか」と言う人もいて、何を歴史と見るかという時間のとらえ方にも違いがありそうです。確かにフランスでは長い歴史の息吹を感じられる景観に魅了されます。南部に残るローマ時代の遺跡やルーアンにもある中世からの姿をとどめる大聖堂、ベルサイユ宮殿、19世紀に整備されたシャンゼリゼなどのパリの大通り--。でも、ルアーブルの歴史をたどると、それだけではないフランスがあることを教えてくれます。

ルアーブルの鍛冶職人

 「ペレのアパートに祖母が住んでいたから、子供の頃に何度も行ったよ」という人が、身近にいました。通っている語学学校のアガットという先生です。アガットのパートナーのビクトールも「うちのおばあちゃんも、ルアーブルの生まれだよ」と教えてくれました。そんな2人の話を聞きたくて、彼らの家を訪れたのが8月15日のことでした。

 ビクトールのおばあちゃんは、町が空襲に見舞われた頃は近隣の田舎町へ疎開していました。亡くなった後で遺品整理のためにクローゼットを開けたら、奥から米兵の服やフォーク、スプーンが出てきたそうです。戦後、ルアーブルには多数の米兵が駐留していました。おばあちゃんが生前に周囲に語った断片的な話から、恋仲になった米兵がいて、その人の思い出の品ではないかと家族は推測したといいます。「ぼくが子供の時、戦争が終わった日のことをおばあちゃんに尋ねました。その時には『おなかが痛くて家にこもっていたから米兵の思い出はない』って言っていたんですけどね。大切な思い出だから、隠していたんでしょう。まあ、おじいちゃんもいたし。でも、クローゼットから秘密が出てきた時は、若かりし祖母をそこに見たような気がしました」と言っていました。

 一方、アガットが語り始めたのは、ルアーブルで戦後を生きた移民一家の姿でした。

 彼女の祖父母一家がこの町にたどり着いたのは1956年。チュニジアがフランスから独立した年でした。フランス植民地時代のチュニジアには多くの外国人が働いていて、祖父母も、もともとはシチリア島生まれのイタリア人。7人の子供がありました。独立でチュニジアを離れることにしましたが、当時のシチリアは子供を育てるのにいい環境とは言えなかったそうで故郷には戻りませんでした。

 フランス南部マルセイユに渡りましたが同じ境遇の移民が多く仕事は取り合いで、復興景気にわく北西部ルアーブルの名前を聞いて北上。そして家族で入居したのが、ペレのアパートだったそうです。彼女の母はそこで生まれました。「祖父は住宅設備の鍛冶職人でした。仕事はすぐに見つかったようですが、当時のフランスではイタリア出身者に対する厳しい差別がありました。だから祖父母は子供たちに、家でイタリア語を話すことを禁止したそうです。フランスの同化政策になじむために、自分たちもフランス語を勉強しました。名字もフランス語風に変えました。だから祖母がイタリア語を話すのを、一度も聞いたことがありませんでした」

 アガットの記憶にあるアパートは、一般公開されているよりもっと小さかったそうです。「でも台所の高い天井はよく覚えています。バスルームのタイルもきれいでした。クリスマスはいとこたちも大勢が集まって、部屋の中が人でいっぱいでした」。おばあちゃんは晩年までここで過ごし昨年、98歳で亡くなったそうです。結婚して故郷を離れてから二つの国を渡り、異国で生涯を終えたアガットのおばあちゃん。

 「苦労した分だけ強い女性になったのだと思います。もし、生まれ故郷のシチリアで暮らし続けたなら、生来の控えめな性格のままだったでしょう。この時代の女性にしてはとても開けた考えを持っていました。『好きになる男性は一人きりじゃだめだよ。いろんな男性のことを知るべきだよ』と言われたのは、忘れられません」

 ルアーブルの町を歩き、復興とは何なのかを考えました。ペレが戦争の後に残そうとしたものは、目に見える整然とした町の姿以上に、そこに生きる人々が災禍や暴力におびえることなく人間らしく生きることのできる日常だったのではないかと思います。そのためには快適な住まいと、歩いていて気持ちの良い景観を皆が楽しめるようにする必要がありました。約70年の時を経て、コンクリートの町並みが私たちの心に触れるのはそうした考えが貫かれているからではないでしょうか。それは「過去のいい時代の話」ではなくて、今につなげたいよね、と話してアガットとビクトールの家を辞しました。【久野華代】

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