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継続は力なり

わかやま100年企業の挑戦 伊藤農園 みかんジュースに活路 就農環境改善にも本腰 /和歌山

「東京や名古屋からもお客さんが買いに来てくれる」と、みかん蔵を改装した直営店について語る伊藤農園の伊藤修社長=和歌山県有田市で、北林靖彦撮影

 2017年産の温州(うんしゅう)みかんの生産量が14万4200トンと14年連続トップで、全国シェア2割を誇る和歌山県。中でも有田地方を中心に栽培されている有田みかんは紀州を代表するブランドとして江戸時代から栽培されてきた。

     この有田みかんとともに歩んできたのが伊藤農園だ。同社のルーツは東京・日本橋。廻船問屋(かいせんどんや)を営んでいた伊藤幸兵衛が明治維新の混乱の中、親戚を頼って有田に移住したのが始まりだった。移住後も廻船問屋を続けていた1897年、幸兵衛の孫、芳太郎・初代社長が青果卸売問屋「船林(ふなりん)」を創業し、みかんや除虫菊の卸売業を始めた。同社は確かな史料が残っているこの年を創業年としている。

     当初はみかんを船に載せ、東京や大阪などの小売店に運んでいたが1924年、鉄道が箕島まで開通すると貨車輸送に切り替えた。

     みかんを取り巻く状況が激変したのはそれから半世紀近くたった72年。全国のみかん生産量が350万トンを超え、価格が大暴落したのだ。4年後、伊藤彦助・2代目社長が死去し、28歳の若さで会社のかじ取りを任された伊藤修社長(69)は「取引農家もあったから、何とかせなあかんと思った。当時、作ったみかんの2~3割は加工用でしたが、それに目をつけ、手を出したのがジュースでした」と話し、加工用みかんに付加価値をつけた生き残りを模索した。

    ストレートジュースが製造されている伊藤農園の工場=和歌山県有田市で、北林靖彦撮影

     当時、すでにみかんジュースは市場に出回っていたが、多くは輸送コスト節減のために果汁の水分を飛ばし、濃縮した後、濃縮前の濃度になるよう水で希釈して作った濃縮還元ジュースだった。「全国から『100%みかんジュース』 を集めて飲んでみましたけど、本来の味と違う。それやったら一番生の素材をそのままの味で、できやんかな」と、搾り汁をそのまま使用するストレートジュースの開発を始めた。「それでもうちだけしかできないジュースを作れへんかったら、大手企業に単価で負けるし、最終的に飲み込まれる」。そう危機感を抱き、試行錯誤を繰り返した。そして、おわん型の器具にみかんを乗せてゆっくり搾ると組織を破壊せず、濃厚な味が出せると確信。89年、製造販売を開始した。

     最初は1本1000円というジュースは売れなかったが、「お金を出してもおいしいものを」と消費者の動向が変わり、販路は全国、今はヨーロッパ、アジアへと広がった。

     だが市場が拡大しても、足元のみかん畑の経営が成り立たないと未来はない。農家の高齢化や老木化などで全国のみかん生産量が最低記録を更新。みかん農家の廃業も相次ぐ中、同社は農業改革に本腰を入れている。「今、世襲制農業がどんどん崩れています。一子相伝でない農業、素人が農業をできるような形を作っていかないと、産地が崩れる」。そこで農家が放任したみかん畑を引き受け、全国から募集した大卒社員らに就農させた。さらに今年、ドローンを使った農薬散布も導入し、労働環境の改善を図った。

     「後はこの(有田)地域に沿う農業をやっていけるような環境作りができればいいです」と、伊藤社長は郷土愛を語った。 【編集委員・北林靖彦】=次回は小池組(和歌山市)です。


    企業情報

    ■創業 1897(明治30)年

    ■業種 青果卸、みかん加工販売

    ■所在地 有田市宮原町滝川原

    ■社員 31人(さらにパートが三十数人)

    ■資本金 700万円

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