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元気に登校する仲紬希さん(右)と中川朝陽さん(左)=和歌山県新宮市熊野川町日足で2018年8月27日午前、阿部弘賢撮影

 2011年9月の紀伊半島豪雨から4日で7年。この年度に生まれた子供たちは今春から新1年生として小学校に通う。母親のおなかの中にいたり、生後間もなかったりして被災の記憶はないが、復興と歩調をそろえるように成長し、地域の希望を集めている。

 「行ってきます」。2学期がスタートした8月27日朝、和歌山県新宮市熊野川町日足(ひたり)に住む、市立熊野川小1年の仲紬希(つむぎ)さん(7)と中川朝陽(あさひ)さん(6)は同級生と一緒にランドセルを背負い元気よく登校した。

 豪雨があった11年9月4日、2人の母親の仲あゆ子さん(41)と中川千賀子さん(43)は、必死で自身や子供たちの身を守った。

 8月生まれの紬希さんは当時、生後20日余り。近くの川が氾濫し、夕方には自宅にも濁流が流れ込んできた。2階の大人の腰の高さまで水かさが増し、あゆ子さんは粉ミルクなどを持って祖父母と夫、子供4人との一家8人で屋根裏に上った。

 万一に備え、当時小1の次女には救命胴衣を着せ、紬希さんは衣装ケースに。幸い水位は上がらず、明け方に屋根裏の壁に自分で穴を開け、救助に来たボートに助けられた。

 千賀子さんは9月4日ごろが出産予定日だった。住んでいた団地にも水が流れ込み、千賀子さんは家族と3階の住まいから5階の知人の部屋へ避難した。

 数日前からおなかは張っていた。「ここで産むしかない」と覚悟を決めた。翌5日に運良く病人を運ぶヘリに同乗させてもらい、6日に新宮市内の病院で男の子を出産した。出生時の体重は他の3人のきょうだいより重い3392グラム。「きっと、この子も頑張ってくれたんだと思う」。

 豪雨を生き抜いた幼い子供たちは学校で勉強にスポーツに一生懸命取り組んでいる。「卓球が好き」(紬希さん)、「友達と遊ぶのが楽しい」(朝陽さん)という2人。物おじせず誰とでも仲良くなれ、地域の人たちからも可愛がられている。

 豪雨ではあゆ子さんと千賀子さんの知人も犠牲に。たくさんの人が亡くなったこと、大勢の人に助けてもらったことを子供たちに伝えようと思っている。

 「亡くなった人たちの分まで元気に育ち、困っている人を助けられるような大人になってほしい」。そう願っている。【阿部弘賢】

ことば「紀伊半島豪雨」

 2011年9月に上陸した台風12号による豪雨災害で、死者・行方不明者は和歌山県61人、奈良県24人、三重県3人に上る。総降水量は紀伊半島南東部を中心に1000ミリを超え、一部では2000ミリに達した。3県では大規模な浸水被害、山腹が岩盤ごと崩れる「深層崩壊」による土砂災害などが相次いで発生。住民が戻れず消滅した集落もあり、過疎高齢化が進む半島に深刻な打撃を与えた。

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