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ぐるっと首都圏・母校をたずねる

茨城県立日立一高/5 サッカーにささげた日々 大金直樹さん /東京

 ◆「FC東京」代表取締役社長・大金直樹さん=1984年度卒

     ワールドカップ(W杯)の日本勢の活躍でサッカー熱がますます高まっています。J1リーグ「FC東京」代表取締役社長の大金直樹さん(51)=1984年度卒=は茨城県立日立一高のサッカー部に所属し、3年生の最後までサッカーをやり遂げました。「人生の記憶の大半はこの3年間」というほど密度の濃い時間だったようです。【賀川智子】

     小3からサッカーを始め、高校進学ではサッカー強豪校だった地元の工業高と迷いました。中3の時、県大会で優勝し、チームの仲間は皆そこを志望していました。一方で日立一高は三つ上の兄が通っていた、地元の進学校です。(学力的にも)レベルが高い一高に挑戦したい、そこでサッカーがしたいという思いがあり、一高を選んだのです。

     とにかく、勉強が大変でした。入学時点で自分は下から10本の指に入るぐらいの成績でした。しかも入学後すぐにサッカーの試合でけがをして入院してしまったのです。それから勉強は全くついていけず、1学期の通信簿の数学は5段階評価で「1」。赤い文字で書いてあり、これが赤点なのかと知りました。今でも記憶に残る通信簿でした。

     学校はグラウンドが狭く、野球部とサッカー部とラグビー部が同じ場所で練習していました。野球部のボールが飛んで来たり、境界線でもめたりしながらよく練習できていたなと思います。

     サッカー部の監督は大江文博先生です。和歌山県出身で、高校生にとっては違和感のある関西弁で厳しかったけれど、選手の自主性を重んじてくれました。当時は規律や指導が厳しい時代でしたが、大江先生は、自分たちのモチベーション(動機)を自然と高めてくれました。3年間、一度も全国大会に監督を連れて行けなかったことが一番の悔しい思い出です。

     また、元五輪日本代表の選手で、鹿島アントラーズの初代監督になられた宮本征勝さんがOBにいて、毎年指導に来てくれました。「あと1センチ足を伸ばせば届く」「0コンマ何秒の判断が遅い」。宮本さんは細かく指導してくれました。当時は本田技研の監督で、日立にいながら、世界を知る方に指導をしていただいたことがすごく刺激になりました。

     一高では全国大会に出場できませんでしたが、2年と3年時には、茨城県選抜として国体に出場し、3年の時には全国3位になりました。その結果、筑波大に進学することができました。サッカーだけはやりきろうとすべてを懸けていたので、運が良かったと思います。

     筑波大卒業後、89年に東京ガスに入社しました。サッカーとは離れていましたが、その後日本のサッカー界がすごいスピードで変化し、98年に東京ガスを母体にFC東京が誕生しました。その後出向を命じられ、選手とは違う立場で再びサッカーと関わるようになりました。サッカーをしていた者として、苦しさも楽しさも分かった上でチーム作りに携われるのがうれしく、やりがいでもあります。

     50年生きてきた中で、記憶の大多数は高校の3年間が占めているというくらい濃かった。母校と聞いて浮かぶのは、あの狭いグラウンドです。今年の元日、20年ぶりに母校で初蹴りをしました。グラウンド、景色、遠目に見る部室………。何も変わっていません。そこにはいろいろな思い出が凝縮されています。記憶がよみがえり懐かしかったです。

    殿堂入り果たしたOBも

     1949年創部の日立一高サッカー部には、日本サッカー界に輝かしい足跡を残したOBがいる。サッカー日本代表として68年のメキシコ五輪で銅メダル獲得に貢献した鎌田光夫さん(80)=55年度卒=と宮本征勝さん(故人)=56年度卒=だ。

     同校は50年代から60年代にかけて、茨城県の高校サッカー界をけん引した。鎌田さんが3年時の55年、神奈川国体の高校の部で3位に入賞した。また、宮本さんが3年時の翌56年、創部8年目で全国高校選手権大会に初出場、初戦で山城(京都)を4-1で降して波に乗り、決勝に進んだ。同じ初出場の浦和西(埼玉)に2-3で惜敗したが、日立一高の名を全国に知らしめた。

     鎌田さんは中央大、宮本さんは早稲田大を経て、日本リーグの古河電工(現ジェフ千葉)でプレーした。日本代表でも活躍し、64年の東京五輪でベスト8、68年のメキシコ五輪で3位になった。

     引退後、鎌田さんは古河電工監督や日本サッカー協会理事などを務めた。宮本さんはJリーグ・鹿島アントラーズの初代監督、清水エスパルス監督などを歴任した。2人ともサッカー殿堂入りを果たしている。【佐藤則夫】=次回は12日に掲載


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    卒業生「私の思い出」募集

     茨城県立日立一高卒業生のみなさんの「私の思い出」を募集します。300字程度で、学校生活や恩師、友人との思い出、またその後の人生に与えた影響などをお書きください。卒業年度、氏名、年齢、職業、住所、電話番号、あればメールアドレスを明記のうえ、〒100-8051、毎日新聞地方部首都圏版「母校」係(住所不要)へ。メールの場合はshuto@mainichi.co.jpへ。いただいた「思い出」は、紙面や毎日新聞ニュースサイトで紹介することがあります。


     ■人物略歴

    おおがね・なおき

     1966年、茨城県日立市出身。筑波大学体育専門学群卒業。筑波大では1学年上に長谷川健太さん、1学年下に井原正巳さん、中山雅史さんがおり、「全国高校サッカー選手権で活躍したスーパースターがゴロゴロいた」という。卒業後、東京ガスに就職。東京ガスが母体となり設立された「FC東京」に2006年に事業部長として出向。11年から常務取締役として再出向し、15年に代表取締役社長。目標は「リーグ戦で初タイトルを取ること」。

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