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記憶つないで

カネミ油症50年/上 終わらぬ辛苦の訴え 患者2世、57歳母と似た症状

カネミ油症発覚50年を振り返る写真展で語り合う下田恵さん(左)と母順子さん=長崎市茂里町で、浅野翔太郎撮影

 長崎県・五島列島のほぼ中央に浮かぶ奈留島(なるしま)(同県五島市)。室町時代には日明貿易に使われた遣明船の寄港地として栄え、隠れキリシタンが暮らした地としても知られる。この静かな島で1968年、カネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油を使った料理を食べた住民の体に吹き出物や色素沈着などの異常が相次いだ。原因は油に含まれた猛毒、ダイオキシンだった。

 現在は同県諫早市で暮らす下田順子さん(57)は奈留島生まれで当時小学1年だった。「健康と美容にいい」との評判で島でも売られていた米ぬか油を一家で口にしたことで、漁協職員の父と母、弟と妹の家族5人の生活は一変した。下田さんは吹き出物や頭痛、倦怠(けんたい)感などに悩まされた他、30代半ばには骨密度が「75歳並み」と診断されるなど症状は全身に及んだ。一家5人全員が患者と認定されて結婚や出産もためらったが、現在の夫の理解にも支えられて結婚し、89年には長女恵さん(29)を授かった。

 その恵さんに異常が表れたのは生後6カ月のことだった。全身に湿疹が出始め、成長と共にぜんそくや、さまざまな食品アレルギーが出るようになった。小学校高学年になると、頭痛や倦怠感から保健室で過ごすことが増えた。順子さんは「健康な体に産んであげられなくてごめんね」と謝りながら、胎盤を通じてダイオキシンを受け継がせてしまったかもしれないと衝撃を受けた。それでも油症の影響だとは信じたくなく、娘に詳しい説明をしたことはなかった。

 2005年10月、油症患者らが国から仮払金返還を求められた問題解決に向け、五島市被害者の会が設立された。その設立式典で順子さんは自らの被害について語る講演を引き受けた。そこに同席した恵さんは順子さんの壮絶な体験を初めて知った。「母の語る症状が自分と同じで涙が止まらなかった」と振り返る恵さん。幼い頃から体調が悪くて「自分は人と違う」と感じていた理由がストンと胸に落ちた瞬間だった。

 恵さんは翌年の06年から患者認定を求めて長崎県の油症検診を受診し始めた。しかし、ダイオキシン類のポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)の血中濃度が基準より低いことなどを理由に却下され続けている。体調不良を繰り返しながらも高校卒業後は介護福祉士として働き、患者の2世や3世への支援を求める活動にも取り組む日々を送っている。

 街頭でビラを配っていると高齢者に「もう終わった話でしょ」とビラを捨てられたこともあり、恵さんは「社会から忘れ去られようとしている」と危機感を募らせる。

 それでも「2世、3世がつながりながら、今も被害は終わっていないことを伝えていきたい」と決意を新たにしている。

     ◇

 国内最大の食品公害「カネミ油症」が発覚して今月で50年。猛毒のダイオキシン禍に見舞われた患者たちは高齢化し、被害は次世代に受け継がれている。半世紀を経ても終わらない苦しみと向き合う人たちを追った。

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