「米国は韓国大統領府(青瓦台)事件では動かなかったのに、米兵が人質になると態度が一変した」。韓国中央情報部の北朝鮮課長だった康仁徳(カンインドク)氏は、1968年当時の朴正熙(パクチョンヒ)大統領ら政権中枢が、米国の対応に強い不信を抱いたと振り返る。
自国への武装テロを重く見て報復を迫る韓国側、ベトナム戦争の状況にも目配りせざるを得ない米国側。認識の違いは、さらに広がっていく。
朴氏とジョンソン米大統領(当時)との間で交わされた書簡を大統領府が2002年公開した。ジョンソン氏…
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