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毎日フォーラム・ファイル

陵墓 大山古墳の発掘調査を初公開

報道陣に公開された「大山古墳」の発掘現場。石敷きや埴輪列が確認された=2018年11月22日

原則「非公開」の宮内庁の変化に注目 

 宮内庁が昨年11月、大阪府堺市の大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵)の発掘調査現場を報道陣と歴史・考古学の研究者らに公開し、大きなニュースとなった。全長約500メートル、3重の濠(ほり)に囲まれた日本最大の前方後円墳で、国が今年夏にユネスコの世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(堺市、羽曳野市、藤井寺市)の「顔」となる構成資産でもある。その発掘調査と内部の公開は、考古学的な成果だけではなく、陵墓をめぐる宮内庁の姿勢の変化という点でも注目すべき出来事だった。

     11月22日の発表当日は小雨のぱらつく肌寒い朝となったが、JR阪和線百舌鳥駅から西へ5分ほど歩いた大山古墳の「拝所」は熱気に包まれていた。樹木に囲まれた丘のような巨大古墳を前に約50人の報道陣が集まった。

     今回の調査でトレンチ(試掘溝)が入れられたのは墳丘そのものではなく、最も内側の堤の南東部3カ所。深さ数十センチのところで筒形の「円筒埴輪」の底部分と、敷き詰められたこぶし大の石が見つかった。築造された当初、埴輪が一列になって堤全体をめぐり、石敷きによって荘厳されていた様子が見えてきた。

     ただこれらは「驚くほどのものではない」というのが発掘担当者の感想だ。規模の大きな前方後円墳では、墳丘を取り囲むように円筒埴輪が並び、斜面が崩れ落ちないよう補強する「葺石(ふきいし)」が敷かれるのが普通だ。今回、堤の平らな面で石敷きが見つかったことは珍しいものの、言ってみれば「想定の範囲内」の成果だった。

     それでもこの発表が大きな意味を持つのは、大山古墳が「陵墓」であることと関係がある。

     陵墓とは、宮内庁が歴代の天皇や皇族の墓として管理する場所のことで、古墳が当てられることもある。大山古墳は第16代仁徳天皇の「百舌鳥耳原中陵(みみはらのなかのみささぎ)」とされる。皇室典範では天皇と皇后、太皇太后(先々代天皇の后)、皇太后の葬られている場所が「陵」、その他の皇族が「墓」と定められている。宮内庁のホームページによると、そのほかに分骨所や火葬塚、陵墓参考地なども含め、北は山形県から南は鹿児島県まで1都2府30県におよそ900ある。

     祭祀の場として聖性が重視される。拝所には鳥居が立ち、「みだりに域内に立ち入らぬこと」「魚鳥等を取らぬこと」などの禁止事項を墨書した制札が掲げられる。墳丘の修復などの目的で宮内庁が内部を調査して成果を発表することはあるが、基本的には「静安と尊厳の保持」のため非公開で、柵の内側はベールに包まれているのだ。

     とはいえ、陵墓は歴史の解明に欠かせない文化財としての性格も持つ。研究者は長くその公開と適切な保全を求めてきた。それに対する宮内庁側の対応は、重い扉を開くように、ゆっくりとだが少しずつ変わってきている。

     1979年以降はほぼ年1回、陵墓の補修工事の際に発掘現場を「公開」したが、認められたのは外周部からの見学だけ。2006年11月には墳丘最下段までの立ち入りが認められ、国内の歴史・考古学の16団体による立ち入りが08年2月の五社神(ごさし)古墳(神功皇后陵、奈良市)を皮切りにこれまで約15カ所で実現した。ただ歩くだけだが、それでも「画期的な進歩」と捉えられた。さらに16年3月、地元自治体や研究者に協力を求める方針に転換。それを受けた今回の発掘調査は、堺市という外部機関と共同で実施された初のケースとなった。

    発掘調査の現場が公開された「大山古墳」=堺市堺区で2018年11月22日

     宮内庁の変化を評価する研究者も多かったが、市民向けの現地説明会が行われないことなど「まだ不十分だ」と指摘する声も聞かれた。いずれにせよ世界遺産登録を見据えるタイミングでの今回の調査と発表が、陵墓の公開に向けた一つの画期となったと言えよう。

     世界遺産に向けた別の課題にもスポットライトを当てたい。構成資産としての「名称」についてだ。大山古墳の場合、宮内庁の指定に沿う「仁徳天皇陵古墳」と記載される。歴史・考古学の13団体は昨年9月、「被葬者が認定されているように理解される」として、名称の見直しを求める見解を発表している。実は、陵墓の被葬者は学術的には確定していないのだ。

     陵墓の被葬者は、その多くが幕末から明治期にかけて決められた。近代の天皇制が形作られる時期、皇室の祖先たちをまつる場所が必要という政治的な要請も背景にあった。近い時代の場合は問題なかったかもしれないが、古墳などは長い年月の間に墓のあるじの記憶が途切れていることも多かった。

     被葬者を決める際、その根拠は「古事記」「日本書紀」「延喜式」などの記述や、地名、地元の伝承に求められた。例えば、百舌鳥古墳群にある仁徳天皇陵(大山古墳)、履中天皇陵(百舌鳥陵山古墳)、反正天皇陵(田出井山古墳)は「延喜式」に、それぞれ「百舌鳥耳原中陵」「百舌鳥耳原南陵」「百舌鳥耳原北陵」と記されている。現在の3古墳の位置関係を見ると、この「中」「北」「南」が根拠となっていることが明白だ。あいまいなケースもたくさんあったようだ。

     明治以降の学問の進歩はその正確さに疑問を投げかけている。継体天皇が葬られたのは、陵とされる太田茶臼山古墳(大阪府茨木市)ではなく今城塚古墳(大阪府高槻市)だというのは学術界では常識だ。大山古墳も、これまでの調査で見つかった埴輪の年代から、仁徳の子である履中陵より後に作られた可能性が高いとされている。こうした事情を背景に、研究者らは70年代から陵墓名ではなく地名などに基づく名称を使うことを提唱。近年では教科書でも表記が変わってきている。

     決定が見直された例は明治時代にはあるものの、宮内庁は現在「墓誌など明確な根拠が見つからなければ変更はしない」との姿勢だ。皇室典範にも、決定を変更する手続きの規定はない。世界遺産登録が実現するかはまだ分からないが、名称問題からも目が離せない。

     大山古墳の発掘と公開を契機に、陵墓をめぐる状況は新たな局面を迎えつつある。古代の人々が残したかけがえのない宝をいかに未来に伝えていくのが望ましいか、さらなる議論の高まりが期待される。

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