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◆京都府八幡市~枚方市
「府界」の茶屋で一休み
いましばらく洞ケ峠をうろうろしてみる。
筒井順慶陣所跡の碑はあるが、順慶は洞ケ峠で日和見を決め込んだわけではないことを前回、書きつづった。実はここで日和見を決め込んだと言われても仕方のない軍勢があったのだ。幕府軍と新政府軍が戦った鳥羽・伏見の戦いで、高槻藩は幕府軍として洞ケ峠を守っていたが、新政府軍の優勢を見て戦わず、高槻城に帰ったという。高槻藩主は徳川の譜代大名だったから、「幕末の洞ケ峠」などと非難されたそうな。高槻藩にはそれなりの事情があったようだが、洞ケ峠といういわくつきの場所を守っていたのが不運だったというしかない。
筒井順慶陣所跡の碑から山手幹線を東へ歩くと、摂南大だ。次の信号を南へ、上り坂を上がっていく。左手にある大学の駐輪場入り口脇に、えらく傾いて倒れそうな標柱を見付けた。2メートルに満たない高さのコンクリート製だが、割れて劣化が激しい。
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