寛斎さん惜しむ声 岐阜工制服、今も好評 /岐阜

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山本寛斎さんがデザインした母校、岐阜工業高の制服=岐阜県笠松町常盤町の同校で、横田伸治撮影
山本寛斎さんがデザインした母校、岐阜工業高の制服=岐阜県笠松町常盤町の同校で、横田伸治撮影

 ミュージシャンの故デビッド・ボウイさんの衣装を手がけるなど国際的に活躍してきたファッションデザイナー、山本寛斎さん(76)の訃報を受け、県立岐阜工業高(笠松町)など山本さんの母校の関係者からは、別れを惜しむ声が聞かれた。

 山本さんは1956年に岐阜市立明徳小(現・明郷小)を、59年に市立加納中(同市加納舟田町)を、62年に県立岐阜工業高(笠松町常盤町)を卒業し、世界で活躍しながら、故郷でたびたび講演をして後進を育てた。

 市立加納中を山本さんより数年遅く卒業し、愛知万博の準備や県内のイベントで仕事をともにした古田肇知事は「積極的にアイデアを語り、明るくアドバイスをしてくれた」と先輩をたたえた。

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