台風19号1年 常連客に背中押され再興 父のキャンプ場、次は私が

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父からキャンプ場の経営を引き継いだ高崎幸江さん。父の愛犬だったマメは被災後、毛が大量に抜けるなど元気がなかったが、今は元気に走り回っている=相模原市緑区の神之川キャンプ場で8日、丸山博撮影 拡大
父からキャンプ場の経営を引き継いだ高崎幸江さん。父の愛犬だったマメは被災後、毛が大量に抜けるなど元気がなかったが、今は元気に走り回っている=相模原市緑区の神之川キャンプ場で8日、丸山博撮影

 12日で上陸から1年となった2019年の台風19号で、経営者もろとも濁流にのまれた「神之川(かんのがわ)キャンプ場」(相模原市緑区)が営業を再開し、活気を取り戻しつつある。再興したのは、台風で犠牲になった経営者、関戸基法(もとのり)さん(当時82歳)の長女、高崎幸江さん(60)。父を慕っていた常連客や家族に後押しされながら、遺志を継ごうと奮闘している。

相模原、濁流おそう

 「雨が降るから今日は来なくて大丈夫」。台風19号が接近していた19年10月12日朝、日ごろからキャンプ場の経営を手伝っていた高崎さんに、関戸さんは電話でそう伝えた。心配する高崎さんの娘が電話で「おじいちゃん、危ないから外に出ないで」と言うと、「分かったよ」と返事した。それが、家族が関戸さんと交わした最後の会話となった。

関戸基法さん 拡大
関戸基法さん

 一夜明け、高崎さんはキャンプ場へ向かった。崩落した土砂で車が通れなくなった道を必死に歩いてたどり着くと、目の前に広がる光景に息をのんだ。テントを張る「キャンプサイト」の砂利や炊事場の建物、整備に使っていた重機は跡形もなく流され、一帯は泥で覆われていた。そして、いるはずの父の姿はなく、愛犬だけが駆け寄ってきた。関戸さんの遺体が下流の河原で見つかったのは2日後。重機を安全な場所に移動させようとしている最中、氾濫した川の濁流に巻き込まれたとみられる。

地道に整備40年

 キャンプ場は1974年、建材会社に勤務していた関戸さんがオープンした。電気も水道もない河原を重機でならし、地道に一人で整備していった。いつしか、ニジマスやイワナなどが釣れる人気の観光スポットになっていた。開業当時は中学生だった高崎さんも「仕方なくという感じ」と言いながらも、40年以上にわたり手伝ってきた。

 関戸さんが半生をかけて造り上げたキャンプ場は、わずか1日で壊滅した。高崎さんは父の死を悲しむ間もなく、後を継ぐかどうかの決断を迫られた。「正直戸惑った。あの光景を見たら『できるわけない』と思った」。悩む高崎さんの元に、キャンプ場の常連客からたくさんの手紙が届く。「頑張ってください」「応援しています」。再開を待ち望む文字ばかりが並んでいた。「こんなに求められているなら」。背中を押され、覚悟を決めた。

父からキャンプ場の経営を引き継いだ高崎幸江さん。濁流に流された炊事場を再建し、地面がえぐられたキャンプサイトも元の高さまでかさ上げして植樹した=相模原市緑区の神之川キャンプ場で8日、丸山博撮影 拡大
父からキャンプ場の経営を引き継いだ高崎幸江さん。濁流に流された炊事場を再建し、地面がえぐられたキャンプサイトも元の高さまでかさ上げして植樹した=相模原市緑区の神之川キャンプ場で8日、丸山博撮影

 2人の弟と長男と一緒に、整備に取りかかった。流された設備を再建し、炊事場は一から手作りした。5カ月後の20年3月、営業再開にこぎ着けた。5月、新型コロナウイルス感染拡大の影響で一時営業自粛に追い込まれたものの、7月に入ってようやく客足も戻り、かつてのにぎわいを見せつつある。

悲しみ乗り越え一歩

 「関戸さんに手を合わせたい」と訪れる常連客は後を絶たず、大量の花や線香を置いていく。中には関戸さんの好物だった貝を持ってくる人も。思い返せば、客を相手に冗談を言って笑わせたり、客の子供を抱っこしたりする父の姿が浮かぶ。「本当にすごい人だったんだな」。今もまだ父に助けられていると痛感する。

 キャンプ場を「元通りにしたい」となりふり構わず突き進んだ1年だった。最近は気持ちに変化もある。整備が進み、心に少しゆとりもできた。後を継いだことで改めて父の存在の大きさも知り、まねはできないと悟った。「全く同じに戻さなくてもいい」と思えるようになった。

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 悲しみを乗り越え、2代目としてようやく立ったスタートライン。「いつまでも父に頼っていてはいけない。これからが私の本当の勝負なんです」【池田直】

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