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なにせ百済(くだら)の流民が倭(わ)国で売り飛ばした品は、鍋釜だけではない。難波津の市を歩けば、剣や鉾(ほこ)、弓矢といった武具は、流行の釵子(さいし)よりもはるかに安く手に入る。つまり幾ばくかの貯(たくわ)えさえあれば、集めた男たちを武装させることは簡単なのだ。
法会(ほうえ)の最中だったのか、四半刻ほどして姿を見せた知尊(ちそん)は、全身に抹香の煙をまとわりつかせていた。額田(ぬかた)の言葉に腹をくくった様子で、「わかりました」とうなずいた。
「では私のところには数日のうちに、早く寺を出ろとの四比(しひ)福夫(ふくぶ)さまからの促しが来そうですね。日数がありません。その時は誘われるままに馳(は)せ参じ、隠れ家をこっそり、額田さまにお知らせしましょう」
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