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阪神大震災

1995年1月17日に発生した阪神大震災。戦後初の大都市直下型地震が残した教訓・課題は今――。

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「正しく恐れ備える」 じいちゃんを失った教諭の決意 阪神大震災

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勤務先の小学校で、児童に震災前後の出来事を話す大前敏郎教諭(左)=神戸市東灘区で2021年12月9日、山田尚弘撮影
勤務先の小学校で、児童に震災前後の出来事を話す大前敏郎教諭(左)=神戸市東灘区で2021年12月9日、山田尚弘撮影

 じいちゃんを亡くした喪失感すら、薄らいでいた。でも教諭となり、生まれ育った地に戻り、父となった今は違う。経験を語り、子どもたちを導くことが、自分の使命だと思っている。

家に戻る途中に亡くなった祖父

 1995年1月17日、当時6歳だった大前敏郎さん(33)は、神戸市灘区のマンションで両親と妹と暮らしていた。早朝、最大震度7の揺れが神戸の街を襲う。マンションの一部に亀裂が入ったものの、4人にけがはなかった。だが、近くに住んでいた祖父の堯敏(たかとし)さんが亡くなった。67歳だった。

 地震発生時の午前5時46分。堯敏さんは勤務先のガソリンスタンドに向かう途中だった。大きな揺れの後、自宅に引き返そうと商店街を歩いていた際、店舗を支えていた梁(はり)が倒れてきた。下敷きになり、半日たって救助されたが、約2週間後に亡くなった。長時間圧迫された足の筋肉が壊死(えし)して毒素が全身に回る「クラッシュ症候群」を起こしていたという。

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