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あまり知られていない観光スポットや地元で人気の食べ物を、現地で勤務する支局長が紹介。47都道府県を巡ります。

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わたしの穴場 広島県 「呉市・音戸の瀬戸」 懸け橋ぐるぐる人結ぶ 旧音戸町出身・歌手 島谷ひとみさん

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第2音戸大橋の倉橋島側から望む音戸の瀬戸。音戸大橋のらせん高架橋が見える=広島県呉市で2021年12月 拡大
第2音戸大橋の倉橋島側から望む音戸の瀬戸。音戸大橋のらせん高架橋が見える=広島県呉市で2021年12月

 平清盛がわずか1日で切り開いたと伝わる海峡「音戸(おんど)の瀬戸」(広島県呉市)。本土側と対岸の倉橋島は最も狭い箇所では約90メートルしかないが、1日約700隻が行き交う「瀬戸内海の銀座」だ。海と山と空が織りなすコントラストに、朱に塗られた2本の橋が絶景をつくる。

 歌手の島谷ひとみさん(41)は、倉橋島側の旧音戸町で生まれ育った。音戸は古くから海上交通の要衝として栄えた。車がやっとすれ違える旧道沿いには町家が軒を連ね、石畳の小路や土蔵が風情を醸し出す。

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島谷ひとみさん

 「常に目線の先に海があります。ぐるりと海に囲まれた島で育った人にしか見えない光景。畑仕事をしている人と目が合えばお野菜が、海にいるおじさんと目が合えば魚が、日向ぼっこをしているおじいちゃんと目が合えばお菓子がもらえる。そんな環境でした」。島谷さんの母方の実家は、島で盛んなカキ養殖を営む「音戸海産」で、「たくさんの親戚や従業員に囲まれて育ちました。今が季節のカキを食べてほしいですね」と、海と人々の営みがともにあった島での日々を懐かしむ。

 島谷さんも通った音戸大橋は、1961年12月の開通から「還暦」となった。清盛ゆかりの厳島神社(同県廿日市市)の大鳥居に色を合わせたとされる。満潮時の桁下23.5メートルで、大型船が通れる設計だ。目を引くのは、橋梁(きょうりょう)部につながる2周半のらせん高架橋(半径24メートル)。住宅密集地で建設用地を確保するため、世界でも例を見ない試みで造られ、生活道路ながら観光名所にもなった。渋滞緩和などを目的に2013年、北側に第2音戸大橋が架けられた。

音戸大橋(手前)と第2音戸大橋(奥)。右が本土側、左が倉橋島で、手前左が伝清盛塚=広島県呉市で2021年12月 拡大
音戸大橋(手前)と第2音戸大橋(奥)。右が本土側、左が倉橋島で、手前左が伝清盛塚=広島県呉市で2021年12月

 旧道を抜けて、音戸の町を見下ろせる高台へ。「波のない海の先には、四国まで続く島々。いわゆる『果てしない海』ではありません。どこか、温かく、安心感のある海です」。島谷さんの言葉通りの海に心を癒やされた。【広島支局長・宇城昇】


 <メモ>

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 音戸の瀬戸は、広島呉道路(クレアライン)呉インターから車で約20分。本土側には高台から海と島を一望できる「音戸の瀬戸公園」があり、春は桜とツツジの名所。両岸には平清盛を供養するため建立されたと伝わる「伝清盛塚」や「新・平家物語」を書いた作家・吉川英治の文学碑などがある。


次回は茨城県です

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 ■人物略歴

島谷ひとみ(しまたに・ひとみ)さん

 1980年生まれ。99年7月デビュー、2002年5月の「亜麻色の髪の乙女」が大ヒット。ジャンルを超えて歌いこなす透明感の高い歌唱力で作品を発表し続ける。東日本大震災チャリティーソング「しあわせ運べるように」(12年)や国連のSDGs応援ソング「CYCLE~サイクル~」(19年)を歌うなど社会貢献活動も熱心で、ドラマや舞台、CMでも活躍。

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