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兵士を送り出す側に生まれる高揚感と悲嘆は禁物という抑圧的な同調圧力、兵士たちが受ける暴力的な支配と連帯感や友情――。日本文学で描いてきた戦争は、ウクライナやロシアで再現されているかもしれない。歴史社会学が専門の山本昭宏・神戸市外大准教授が、日本の戦争を描いた文学をひもといた。
共感や反発、怒りや嘆きを追体験
日本の戦後文学は、戦争体験から生まれた。そう言っていい。
大岡昇平など戦場から帰って来た者たち。島尾敏雄など軍隊から復員してきた者たち。奉天(現・瀋陽)からは安部公房が、大連からは清岡卓行が引き揚げてきた。広島で被爆した原民喜や大田洋子。宮本百合子のように戦時中も反戦の意思を曲げなかった者もいたし、軍隊の報道組織に関わることで戦争中も書き続け、戦後も執筆を続けた者も少なくない。
いま挙げたのは一握りの例に過ぎない。作家たちの戦争体験は、年齢も性別も、戦争への関与の度合いもさまざまである。共通点といえば、自らの戦争体験を反芻(はんすう)しながら、戦後に自らの文学を打ち立てようとした点だけだろう。
2022年の現代社会から振り返ったとき、彼ら・彼女らがこだわらざるを得なかった戦争体験は遠い歴史の彼方(かなた)にあるようにみえる。手を伸ばしても届かない――そう思う人もいるかもしれない。
しかし、届くのである。戦争体験から生み出された文学作品を、何か一冊でも手に取ってみてほしい。共感や反発、怒りや嘆きを感じながら、戦争を生きた人びとの感情の一端を追体験できるだろう。そして「これは必ずしも昔のことではない」と思えるような場面にきっと出会う。
戦争から見えてくる人間の営み
そう言い切れるのはなぜか?
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