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「サラリーマンJリーガー」反町康治が歩んだ不思議な道

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Jリーグ開幕時は社員選手として横浜フリューゲルスでプレーした反町康治さん=横浜市神奈川区の全日空菅田総合グラウンドで1993年2月9日
Jリーグ開幕時は社員選手として横浜フリューゲルスでプレーした反町康治さん=横浜市神奈川区の全日空菅田総合グラウンドで1993年2月9日

 カクテル光線を浴びて華やかに幕を開けたサッカー・Jリーグは、1993年5月15日の開幕戦から30年を迎える。プロリーグの誕生で、アマチュアだった選手たちが夢を膨らませて続々と新たな挑戦を始めた中で、「不思議な道」を選んでいた人がいる。現在は日本代表の強化責任者、日本協会技術委員長の反町康治さん(59)だ。

サラリーマンJリーガー

 「アマチュアでやっている時にプロの波が押し寄せてきた。僕はちょっとプロになったのが遅い方かもしれないけれども、サッカーで、指導者として飯を食ってこられたのは、プロになったから。サッカーに非常に感謝している」

 「遅い」というのは、Jリーグ開幕時、反町さんは既に29歳だった。さらにプロ選手ではなく、「社員選手」としてプレーしていたからだ。

 浦和市(現さいたま市)出身で、静岡・清水東高から慶大に進み、全日空(ANA)に総合職で入社した。社員契約ながら、Jリーグが発足すると全日空が母体となった横浜フリューゲルスで活躍し、「サラリーマンJリーガー」と呼ばれた。

 すぐにプロ契約しなかったのは、「その頃は終身雇用制の時代。自分の年齢を考えた場合に、果たしてサッカーに全部身をささげていいのかなというのがありました。不安視するところもたくさんあったから」。それまでは東京・国立競技場で日本リーグの試合をしても「1000人くらいしか入っていないような時代」だったことも脳裏にあった。

 だが、開幕すると空前のJリーグブームが起き、「チケットが取れない状況になるとは誰も思っていなかった」。予想以上の盛り上がりに、新たな気持ちが芽生える。

 「何回もサッカーをやめようと思っても続けたのは、やっぱり…

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