連載
定型の窓から
俳人・片山由美子さんによるエッセーです。
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#32
効果的な口語とは=片山由美子
2/3 12:18 1233文字◇いち日をなんにもせずに寒かりき 今井杏太郎 ◇ひまはりの咲いてさびしい夏もある 大石悦子 最近、あるところに書いた「俳句の文語、俳句の口語」という拙文に反響があった。多くの人が関心をもっていることなのである。 五・七・五の俳句の定型が文語に基づいているのはいうまでもないが、口語の俳句が少しずつ増
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#31
わき出る作品こそ=片山由美子
1/6 12:18 1266文字◇亡き妻の好きな横浜夏帽子 ◇真つ青な海を見下ろすレストラン 窓辺の椅子に君と座つた 島田章平 先日、私とほぼ同世代の俳人が、「最近もてはやされている若い人たちの俳句がよく分からない」と言った。自身が無季俳句も作り、実験的な試みに理解を示してきた人だっただけにいささか驚いたが、安心もした。理解を超
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#30
今が時代の変わり目=片山由美子
12/2 11:54 1244文字◇春山の見ゆるごとくに茶寿そこに 後藤比奈夫 ◇柳揺れ次の柳の見えにけり 岩田奎 新型肺炎の感染拡大が一向に止まらず、収束の見通しがたたないまま今年が終わりそうなけはいである。 感染拡大が始まって以来、図らずもウェブ会議やリモート句会などが私の生活にも入ってきた。そんな中で、俳句は変わったかと問わ
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#29
自然の中の出合い=片山由美子
11/4 12:29 1291文字◇瓢の実といふ訝しきものに逢ふ 後藤夜半 ◇ひよんの笛さびしくなれば吹きにけり 安住敦 瓢(ひょん)の実という秋の季語がある。別名、瓢の笛。歳時記を見ると例句もかなり多く、俳人の好きな季語だと分かる。・瓢の実といふ訝しきものに逢ふ 後藤夜半・ひよんの笛さびしくなれば吹きにけり 安住敦 俳句を始めた
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#28
「天高く馬肥ゆる秋」=片山由美子
10/7 11:58 1231文字◇天いよよ高し天山馬遊ぶ 松崎鉄之介 ◇天高し分れては合ふ絹の道 有馬朗人 最近あまり耳にしなくなったが、かつては秋の晴天が続くころになると「天高く馬肥ゆる秋」と言ったものである。 要は「食欲の秋」の話題になるのだが、どうもこれは本来の意味合いと違うらしい。 手元の辞書に当たってみると、「空が澄み
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#27
季節の変化と着物=片山由美子
9/2 12:51 1330文字◇白地着てこの郷愁の何処よりぞ 加藤楸邨 ◇白地着て血のみを潔く子に遺す 能村登四郎 暗いニュースが多いなか、将棋の藤井聡太二冠の話題に救われる思いの昨今である。 タイトル戦の話だけではない。将棋のことはよく分からないという女性が、つぎの対局はどんな着物で現れるかが楽しみなどと話しているのを耳にし
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#26
夏の楽しみ かき氷=片山由美子
8/5 12:05 1257文字◇匙なめて童たのしも夏氷 山口誓子 ◇氷店一卓のみな喪服なる 岡本眸 ハロハロ、ナムケンサイ、チェー。これが何のことか分かる人は、その方面のマニアといえるかもしれない。アイスカチャン、パッピンスはどうだろうか。それなら聞いたことがあるという人はいそうだ。 いずれもアジアの夏向きスイーツの名前で、パ
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#25
時事を詠むのか否か=片山由美子
7/1 12:08 1288文字◇倒・裂・破・崩・礫の街寒雀 友岡子郷 ◇車にも仰臥という死春の月 高野ムツオ 多くの新聞には短歌・俳句の投稿欄がある。毎週これを見ていると、昨今目立つのはやはり新型コロナウイルス関連の投稿だが、短歌と俳句ではかなり違いがある。そこで思い出すのは、かつての機会詩論争だ。 機会詩は、ドイツ語の訳語で
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#24
コロナで俳句界も変化=片山由美子
6/3 12:44 1328文字◇コレラ出て佃祭りも終わりけり 松本たかし ◇さばへなす神のかまひの熱発と 茨木和生 この春は、新型コロナウイルスがすべてを変えてしまった。俳句の世界も例外ではない。 俳句の創作は基本的に個人で行うものだが、何人かが集まって作品を評価し合う句会という形式が近代以降一般化した。私自身、それを疑うこと
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#23
静かに花を眺める=片山由美子
4/1 12:29 1230文字◇今生の今日の花とぞ仰ぐなる 石塚友二 ◇京の塚近江の塚や花行脚 角川照子 今年も桜の季節がやってきた。例年になく早い開花となり、場所によってはもう散ってしまっているだろう。 この時期は毎年のこととはいえ、開花はいつか、せっかく咲いた花が雨風で散りはしないか、などと気がもめる。 その気持ちを、千年
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#22
鴫立庵での連句=片山由美子
3/4 12:50 1230文字◇大磯に一庵のあり西行忌 草間時彦 ◇はるかなる海を見届け遅桜 本井英 先日、神奈川県大磯町にある鴫立庵(しぎたつあん)を訪れた。 鴫立庵は、平安末期の歌人・西行が、大磯あたりの海岸で詠んだといわれる<心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮>という歌にちなんだ草庵である。 江戸時代の初めに
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#21
春告草の凜々しさ=片山由美子
2/5 12:38 1241文字◇しら梅に明る夜ばかりとなりにけり 蕪村 ◇白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太 二月四日は立春。年があらたまったばかりと思っていたのにもう、というのが実感である。 東京近辺では、一年のうちの最低気温となるのが立春以降であることも多く、「暦の上では」という表現は立春にこそふさわしい。 とはいえ、二月
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#20
動と静の火祭=片山由美子
12/4 12:34 1288文字◇はなびらのごとき炎や牡丹焚く 小路智壽子 ◇松明あかし果て真つ白な月残る 永瀬十悟 十一月十六日、福島県須賀川市の「牡丹焚火(ぼたんたきび)」に参加した。 これは、市内の牡丹園で毎年十一月の第三土曜日に行われている行事である。「牡丹供養」ともいい、園内には二百九十種、七千株の牡丹が栽培されており
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#19
時雨に寄せて=片山由美子
11/6 14:08 1224文字◇うつくしきあぎととあへり能登時雨 飴山實 ◇しぐるるや駅に西口東口 安住敦 今年の秋は、台風の豪雨を中心とする被害が各地に広がった。氾濫した河川の復旧工事がはかどっていない地域もあり、平穏な日常生活を奪われてしまった方々のことを思うと心が痛む。 秋晴といえる日が少なかった十月が過ぎ、早くも十一月
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#18
見て楽しむ言葉=片山由美子
10/2 12:42 1286文字◇爽やかや畳めばものの四角なる 大石香代子 ◇洎夫藍や死後の時間の長きこと 波戸岡旭 このところ、東京近辺でもようやく秋らしい風が吹くようになった。夜はすでに肌寒さを感じるほどである。秋風にたなびく雲のたえ間より漏れ出(い)づる月の影のさやけさ 藤原顕輔 『新古今集』のこの歌は『百人一首』にも収め
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#17
百歳の芸、俳句の恩寵=片山由美子
9/4 12:59 1173文字◇散る花の中へ咲く花揚花火 後藤比奈夫 ◇円卓を回され海胆を逃したる 小原啄葉 今年は16日が敬老の日である。敬老の日をうとうとと過しをり この句は、後藤比奈夫氏の新刊句集『喝采』に収められている。 比奈夫氏は大正6年生まれ。今年何歳かを手帳の年齢早見表で確かめようとしたところ、大正9年からしか載
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#16
ドラマを帯びて 虹=片山由美子
8/7 13:41 1250文字◇虹立ちて忽ち君の在る如し 高浜虚子 ◇虹二重二重のまぶた妻も持つ 有馬朗人 先週は、遅れていた地域でもようやく梅雨が明けたとのこと。この一カ月余り、どこへ行っても雨だった気がする。 そのおかげで、と言っていいのかどうかわからないが、虹を見た人が多かったようだ。SNSで、いま虹が出ているとあちこち
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#15
「おくのほそ道」の旅=片山由美子
7/3 12:41 1208文字◇木啄も庵はやぶらず夏木立 芭蕉 ◇五月雨をあつめて早し最上川 芭蕉 先日、芭蕉の「おくのほそ道」ゆかりの地である黒羽を訪れた。 現在は栃木県大田原市になっているが、黒羽は「おくのほそ道」の旅の途次、芭蕉が13泊したことで知られる。 芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出発したのは、元禄2(1689)年3
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#14
漢文から和語の詩へ=片山由美子
6/5 14:06 1264文字◇芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉 芭蕉 ◇日本語をはなれし蝶のハヒフヘホ 加藤楸邨 令和となって早くも一カ月が過ぎた。すっかり定着しているように感じるのは、ひと月前の四月に発表されていたからだろう。平成の改元のときのように、突然元号が変わったという戸惑いはなかった。 「令和」が概(おおむ)ね抵抗なく受
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#13
端午の成り立ち=片山由美子
5/1 12:46 1310文字◇海原のごとく山ある端午かな 甲斐由起子 ◇夕空や切先のぞく軒菖蒲 草間時彦 短大で俳句の講座を持っていた頃、学生たちに季節の行事や風習をどの程度生活に取り入れているかを聞いてみた。 節分に豆を撒(ま)く。桃の節句に雛(ひな)を飾る。端午に菖蒲(しょうぶ)湯に入る、柏(かしわ)餅を食べる。冬至に柚
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