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青森県弘前市のスペース・デネガで=梅津時比古撮影

 陶芸作家の吉村利美は、自作のふた物(ふたのある陶器)の姿について<今日も口を閉じ 黙っている>と書き残している。作品を沈黙が支配している。

     一昨年の11月に亡くなった吉村の「追想展 使者の記憶」が、創作の場を構えていた青森県弘前市で開かれた(1月19~30日、スペース・デネガ)。

     集められたおよそ100点は、大別してふた物、びん、陶板に分けられる。びんの別の形態として塔があり、ふた物の原形としてオブジェがあるのだろう。布地を思わせる静かな色合いの肌を持つそれらの、根っこは共通している。

     それは、吉村の作品が訴えかけてくる「傷」である。初期のオブジェは石を立像のようにとらえた「賽(さい)の河原」であれ、肌色の炎に焼かれた「使者」であれ、毅然(きぜん)としている。

     だが作家は苦しかったのであろう。「息をする箱」と題された四角の置物は、箱の中の内圧に耐えかねて上面が膨らむように側面との間に少し隙間(すきま)があき、そこからたえだえの息がもれてくるように思える。箱の上面にも側面にも泣き笑いのような傷の数々。

     中期からオブジェは上下に切り裂かれて、ふた物になる。その経緯は「オブジェは息が詰まって苦しくなる。それをふた物にすると、楽になった」という吉村の言葉に探れるかもしれない。閉ざされているより、切れているほうが息ができる。しかしそれは、本来は一体であったものが、引き離されているのだ。

     吉村のふた物はどれもほぼ真ん中で分かれているので、入れ物の下部の空間も、ふたの部分の空間も共に深い。上の空間と下の空間が、互いに求め合っている。

     相手を許さないことで傷ついてゆく人も、許すことで傷ついてゆく人もいる。展覧の背後に、シューベルトの最後のピアノソナタが小さな音で流れていた。

     静謐(せいひつ)な作品を眺めていて、多くの穴があることに気づいた。ふた物に限らず、かたつむりや貝に同化した置物も、口のところに底の見えない穴があいている。びんは、言うまでもなく穴がある。その小さな穴からは、たいてい底がうかがえない。陶板にも、足跡のような小さな穴が並ぶ。

     吉村はあるとき「モディリアニの『編み髪の少女』を見ていると涙が出てくる」と語っていたという。その少女のほっそりとしたなで肩の線がそのままびんの形になっているものがあった。無論、そこに顔はない。しかし宙のどこかに瞳が思い浮かぶ。

     会場に並んでいる、上に向いた多くの穴が、なにかを待っている。

     吉村は先の言葉を次のように続けている。<そのまま空(から)であれば/やがて 再び/時が灯(とも)ってくれるかも知れない><梅津時比古(特別編集委員)>

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