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今週の本棚:池澤夏樹・評 『読まず嫌い。』=千野帽子・著

 (角川書店・1785円)

 ◇読者代表によるダイナミックな小説論

 秀抜な物語論・小説論であり、上質のエッセーである。

 対象となるのはもっぱら世界の古典。昔の文学全集に入っていたような、タイトルはよく知られている(しかし本当に読まれているとはかぎらない)名作の数々。

 今さらそんなものを論じてどうする? と言う前に、これを読んで欲しい--「私は筋金入りの読まず嫌いだった。宮澤賢治(みやざわけんじ)、太宰治(だざいおさむ)、サリンジャー。詩歌なら石川啄木(いしかわたくぼく)も中原中也(なかはらちゅうや)も、もう全部がアレルゲンだった。ごめんなさい先生。残していいですか」

 これが開巻さいしょの言。タイトルは読書と食べる行為を重ねている。それを承(う)けてここに給食の一場面を持ち出す。

 この機知に富んだ軽い文体で、東西の名作の間を行き来しながら、物語と小説が論じられる。ある程度の読書体験のある者ならば納得したりちょっと反論を試みたりするうちに、ついつい最後まで読んでしまうだろう。

 青春小説が苦手だったと言う。「青春小説の主題なんてだいたい『他人に理解されないこと』だ。それが文学になってみんなに読まれている。ということは、お前ら主人公どもの悩みなんてみんなに理解されてるじゃないか。そういう甘え上手なヤツがモテるんだよ結局」

 全体の主題は小説と読者の関係。主人公の思いにすいすい共感できる読者はいいが、そこで引っかかると話に入れない。だから読まず嫌いになる。

 作品を分析するばかりの研究者の視点では欠けてしまう文学のダイナミックな魅力が巧みに引き出されている。動物を死体として解剖するのと、ペットとして愛を込めて飼うのくらい違う。この飼い主はずいぶん手こずって苦労しているけれど。

 挑発されて議論に引き込まれそうな話題が少なくない(これはぼくが読者であると同時に作者でもあるからだろうが)。

 「モダン」の文学は「究極のリアリズム」を目指したと千野は言う。だから今もって作家たちは記述の視点を固定する。

 「物語世界をF1レースのサーキットと考えてみよう。登場人物は一台一台のマシンだ。そして物語行為はそのTV中継ということになる」

 なるほど。

 「ディケンズなどの講釈師タイプの物語行為は、全体を俯瞰(ふかん)する視点をもって、サーキットを上から撮影しているカメラを採用」したのに対して、今の小説は車載カメラの視点に固執している。「登場人物のひとり『ジャン・アレジ』の視点からは、ハンドルの向こうの前方の風景しか見えない」

 これは相当に重大な指摘だと思う。作者が物を語る神となって何人もの登場人物の心の中に出たり入ったりする方が、話は自在に展開できる。神と読者の直接取引だ。

 しかし「モダン」では神と読者の間に登場人物が割り込む。小説に登場するくらいだから自己主張の強い連中で、その分だけ声が大きい。ここで作家はもう一度、神の視点に戻るべきなのだろうか?

 これは読者を巻き込んだ小説論だ。作品は孤立していない。読書という行為を論じる著者はいわば最強の読者代表である。

 そこから名言が生まれる--「自分が生まれる前の世界を好きになってしまうというのは、名作のだいじな効能のひとつだと思う」なんて、そのまま納得。たった今しかないテレビや、この瞬間しかないインターネットに対する本の位置が明確に示されている。

 古い本には匂(にお)いがあり、本書にはその移り香が馥郁(ふくいく)とある。

毎日新聞 2009年11月1日 東京朝刊

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