(文藝春秋・1995円)
昨年の快作『オリンピックの身代金』(角川書店)に続いて奥田英朗がまた実に面白い小説を発表した。犯罪小説の枠を越え、現代社会の歪(ゆが)みに切りこんでいる。圧倒的な力業。
地方都市の衰退、疲弊という現代日本の切実な問題が主題になっている。といっても大上段に振りかぶるのではない。あくまでも市井の人々の日常の苦しみに寄り添っている。地に足が着いている。
舞台はゆめの市という東北の架空の町。そこに生きる五人の人間の群像劇になっている。一九九九年に発表され大評判になった『最悪』(講談社)の続篇(ぞくへん)という趣き。
『最悪』では、不況下の町の鉄工所の社長、銀行に勤める若いOL、パチンコで暮している町のチンピラ、の三人が主な主人公だったが、今回は五人。
市役所の生活保護課の職員。東京の大学を受験しようとしている高校二年生の女の子。暴走族上がりであやしげな商品を売り歩いている若いセールスマン。スーパーの万引を監視している保安員の中年女性。土地開発会社の社長をしながら市政に関(かか)わる市会議員。
それぞれ赤の他人の五人の物語が交互に語られてゆく。レイモンド・カーヴァー原作、ロバート・アルトマン監督の傑作映画「ショート・カッツ」を思わせる手法。
五人が住むゆめの市は一年前に三つの町が合併して出来た。人口十二万人。ご多分に洩(も)れず景気低迷のなか、町は活気がない。駅前の商店街はさびれ、シャッター街になっている。昔ながらのコミュニティが壊われ、犯罪はここ十年で倍増している。「ジーニョ」と呼ばれるブラジル人の出稼ぎ労働者が増え、新たな火種になっている。
人口は減っているのに親と住みたくない若い世代が多いため安普請のアパートが増えている。国道沿いには、パチンコ店、量販店、ファミリー・レストランが並ぶ。景気の悪い町なのに(だからか)パチンコ店は十軒をくだらない。
生活保護家庭は二十世帯に一世帯。そのためにおかしなことも起る。まともに働くより生活保護を受けたほうが“収入”がいい。生活保護で暮している若いシングルマザーが山ほどいる。
奥田英朗はゆめの市という東北の架空の町を描きながら、いまや日本の地方のどこにでも見られる現代の貧困に迫ってゆく。
生活保護課の職員は「弱者を主張する働きたくない人間」との付合いにうんざりしている。女子高校生は「こんな町はまっぴらだ。お洒落(しゃれ)をしても行く場所がない」と思う。早く東京へ出たい。セールスマンは他に働き口がないのでやくざまがいの社長に耐えている。スーパーの保安員は二人の子供を育て上げたあと一人暮しをしていて、新興宗教にすがるようになっている。市会議員は市民運動に悩まされ、家では妻の飲酒と浪費癖に頭を抱えている。誰もが毎日の暮しに疲れ切っている。
五人のうち市役所の職員、セールスマン、スーパーの保安員の三人までもが離婚している。この町は離婚率が高い。理由は簡単。「地方の離婚率の多さは、少ない出逢(であ)いの中で結婚してしまうせいだ」。貧しさと退屈のためか、主婦は援助交際という名の売春に走る。「(夫婦は)さして惚(ほ)れ合ってもいないから、いとも簡単に浮気をする」。
町には軽自動車が多い。「軽自動車が女を解放した」。主婦売春は軽自動車の普及が一因という指摘などなるほどと思わせる。奥田英朗は実によく取材して書いている。
群像劇によって“わが町”を描く小説といえば、函館をモデルにした亡き佐藤泰志の遺作『海炭市叙景』(集英社、91年)が思い浮かぶ。東京がバブル経済のなかにある時に、対照的に地方都市はさびれていっている厳しい現実を浮かび上がらせた小説だが、奥田英朗の新作を読むと、事態はさらに悪化している。
女子高校生は思う。「勉強のできる子は高校卒業と同時に出て行く。残るのは不良か地味な子たちだ」。これでは町の将来はない。
市役所の職員は仕事をさぼって、やけになったように見知らぬ主婦とセックスをする。セールスマンは先輩が引き起した社長殺害に巻きこまれる。保安員は仕事をクビになる。市会議員は関わりのあるやくざが起したトラブルに頭を抱える。
まるで不幸のドミノ倒し。そして女子高校生は、現実と幻想の区別がつかなくなった引きこもりの男に誘拐、監禁される。
最後、それまでばらばらに生きていた五人が車の玉突事故で一気に一堂に会する構成はみごと。アカデミー賞を受賞したポール・ハギス監督の「クラッシュ」を思わせる。
疲弊し切った地方都市。八方ふさがりの人間たち。次々に起るトラブル。救いのない物語なのに決して後味は悪くない。最後に暗闇のなかに光がさしこんでくるような感動がある。それは奥田英朗という一人の作家が、彼らを見捨てずにしっかりと見つめているからに他ならない。
毎日新聞 2009年11月1日 東京朝刊