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今週の本棚:山内昌之・評 『北畠親房 大日本は神国なり』=岡野友彦・著

 (ミネルヴァ書房・3150円)

 ◇南朝の忠臣が秘めていた「皇統内革命」論

 北畠親房の『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』は私の好きな歴史書である。親房については、南朝に忠義を尽した政治家でありながら、史実を公平に正しく記録した歴史家として考える人も多い。「大日本は神国なり」で始まるこの書物は、まるで軍国主義を正当化するかのように誤解されてきた。しかし、岡野氏の新著を読むと、親房という人物も『神皇正統記』もさほど単純でないことがよく分かる。

 後醍醐天皇の忠臣といっても、鎌倉幕府滅亡後の政局で天皇一派や足利高氏一派とも距離をおく護良(もりよし)親王の一派に近かったというから驚く。しかも、出羽三山と交渉のある熊野三山の修験者らを勢力基盤とした護良は、従兄弟(いとこ)または義兄弟(あるいはその両方)だった親房を奥州方面に送って、「奥州小幕府体制」ともいうべき地方権力を樹立させた。これは自ら征夷大将軍の地位を望んだ護良親王の発想にふさわしい。

 この後、伊勢に移って抵抗を続けたのは壬申の乱における天武天皇の経験に倣った行動だという指摘も興味深い。さらに、伊勢から出帆し東国で関東・東北の南朝軍を再建しようとしたが、暴風雨で難破して霞ケ浦近くの小田城にたどりつき、そこを根拠地にしたのも偶然でなかった。

 それは、当時ほとんどの港町を掌握していた律宗と律僧のネットワークを頼ったからだ。親房は生涯に書いた手紙の四分の三近くをわずか五年の常陸(ひたち)滞在中にしたためた。しかも、喧噪(けんそう)をきわめる戦陣で『神皇正統記』を書き上げたのである。

 著者によれば、『神皇正統記』は後村上天皇のために書かれたが、南朝の正統性を主張するだけの単純な書物ではありえない。むしろ、南朝も己の欲を捨て人のためになる「正道」を積み重ねなければ「正統」の地位を失うという「恐るべき教訓」が含まれた書なのである。「不徳の天皇」が廃位されて当然だと考える親房の考えには、『孟子』の革命思想よりも「神国日本」の独特な「皇統内革命」論が秘められていた。

 神武天皇に遡(さかのぼ)る「神武王朝」を無窮としながら、「不徳の天皇」が出現すると、その天子の属する父子一系の「正統(小王朝)」が途絶え、それに代わって新たな「正統」の天皇が即位して別の「小王朝」が始まる。この筋書きは『孟子』に依拠しながら「神国思想」を見事に生かしたというのだ。明解な説明である。

 歴史には皮肉や逆説がつきまとう。親房が心をこめて継続を祈った後村上天皇の「正統」はわずか一世代の後亀山天皇で断絶してしまった。親房が語ったように、天皇に徳がない時は「天照大神の御計らひ」によって「正統」が廃され別の「正統」の天皇が即位するという考えから説明するなら、南朝の天皇には徳が足りず、天照大神は北朝を新たな「正統」として選んだのである。

 江戸時代の新井白石は『読史余論』のなかで後醍醐天皇が不徳だったので「天」が味方しなかったと書いていた。これこそ親房の歴史観につながる見方であろう。

 親房は北朝の復活を阻止し南朝優位の合一を果たせる唯一の人物であった。親房が大和(やまと)の草深い地で亡くなった後、南北朝は合一するが、それは北朝にすべての権力が移る形で実現された。親房が生き長らえていたなら、南朝の天皇の不徳を嘆き北朝の「正統」を美化するのであろうか。そうとは思えない。このあたりのイマジネーションもつきまとう機微については岡野氏も禁欲的にあまり説明していない。水戸学や『大日本史』への影響、昭和の歴史哲学への衝撃など、北畠親房の思想は時空を超えて語るべきことが多い。氏の次作にますます期待したい。

毎日新聞 2009年11月22日 東京朝刊

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