◆実体験にもとづく衝撃の作品
◇『いのちの初夜』北條民雄・著(角川文庫所収)
尾田高雄はハンセン病の宣告を受け、半年後に東京郊外の病院に収容された。それまで何度も自死をはかったが、いずれも未遂に終わった。
病棟に入ると、佐柄木という青年に紹介された。尾田と同じ病室の付き添い人で、五年前に入院した。夜になっても、佐柄木は忙しく室内を行ったり来たりして立ち働いた。手足の不自由な病人には包帯を巻いてやり便を取ってやり、食事の世話をしたりした。
病人たちの耐え難い苦しみを目の当たりにして、尾田は恐怖のどん底に陥り、病棟から抜け出し、再び自殺しようとした。しかし、今回も死にきれず、むしろ生命の強靱さに驚かされた。病棟に戻ると佐柄木は話しかけてきた。すべてを見抜いたように、彼は自らの体験を明かし、「人間」が死んで、「いのちそのもの」になったことの重みについて尾田と語り合った。「苦しむためには才能が要る」という佐柄木の言葉を聞いて、尾田は生きていく決意を新たにした。
作家の実生活を題材にする私小説は苦手だが、この作品は例外だ。その迫力はやはり実際の体験がないと、書けないであろう。ハンセン病患者にとどまらず、一般の人にとっても、生きることとは何かを考えさせられる作品である。
内容の重量感もさることながら、物語の構成や描写は作家の才能をよく示している。主人公の絶望と希望、重症患者を見たときの衝撃、自殺の衝動に駆られたときの心情は五感の激しい共振として表現され、強烈な印象を与えている。
佐柄木も尾田も作者の分身であろう。ハンセン病の恐怖に打ちのめされた尾田が罹患直後の作家ならば、病に蝕まれながらも、力強く生きようとする佐柄木は作者の理想像であり、自らに課した手本であろう。
<サンデー毎日 2009年10月18日号より>
2009年10月6日