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サンデーらいぶらりぃ:張 競・評『誘惑者』安部公房・著

◆完璧な小説作法で描く安部ワールド

◇『誘惑者』安部公房・著(新潮文庫『無関係な死・時の崖』所収)

 本線の終列車が駅を出ていったあと、坊主刈りのひょろりとした大男が待合室に入り、ベンチに座っている二人の女性のあいだに無理やりに割り込んできた。しばらくすると、粗末な夏服を着た小男があらわれてきた。大男を見ると彼は一瞬どきりとしたが、二人はすぐに言葉を交わし始めた。会話の内容を聞くと、小男は逃亡者で、大男は追っ手のようだ。

 大男が無口なのに対し、小男は冗舌だ。彼は大男の腕を褒めちぎり、もうこれ以上逃げないと約束した。

 夜明け頃になると、小男は最後の勝負をしたい、と持ちかけてきた。勝負とは、二人で始発電車に乗り、途中、小男が大男の目をかすめてどこかに消えてしまう、というものである。その巧みな話術に惑わされたのか、大男はすっかりその気になった。

 だが、到着駅につくまで何も起こらなかった。バスに乗り換えても、小男はまだ逃げられないでいた。目的地の停留所で降りると、そこはひっそりした郊外だ。五分ほど歩き、丘のかげにある建物に入ると、突然四、五人の屈強な白衣の男たちが飛び出し、素早く大男に狭窄衣を着せた。

 この作品は構想が絶妙で、最初から最後まで謎の連続である。大男の精神異常は克明に描かれているのに、種明かしをするまで気付かせない。人物描写も独特で、すべて会話を通して行われている。脇役のあしらい方から情景描写にいたるまで無駄なところは一切ない。小説の作法からいうと、ほとんど完璧といっていいほどの出来映えだ。

 無理に人生を意味づけようとしないところがいい。この作家を理解するには、予備知識が必要だが、この小説には余計な寓意はまったくない。それでいて、かえって安部公房の文学的創造性を存分に示している。

<サンデー毎日 2009年11月15日号より>

2009年11月4日

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