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サンデーらいぶらりぃ:池内 紀・評『正弦曲線』『蘆江怪談集』

◆静まり返った日常に感じる風景

◇『正弦曲線』堀江敏幸・著(中央公論新社/税込1890円)

◇『蘆江怪談集』平山蘆江・著(ウェッジ文庫/税込780円)

 もともと人間の感情表現はからだでなされてきた。目を輝かせたり、?をふくらませたり、小おどりしたり、地団駄ふんだり。そののちにやっと言葉になった。全身表現は言葉のふるさとであって、言葉になる前の未分化のゆたかさ、おどろき、いきどおりを秘めている。

 サイン、コサイン、タンジェント--オブラート--無人島--手帳--グライダー。『正弦曲線』で言葉に分化した仲間たちだ。だからこそ記号のように言葉が深い意味をおび、そこから未分化のふるさとにもどっていける。

 目次のない本である。「優雅な袋小路--正弦曲線としての生」「回転する世界の静止点で」「絶対無比の曲線を見つめて」「移動できない歩幅」……小見出しで区切られた、小さなエッセイがつづいていく。未分化のふるさとに目次立てはできないからだ。

「手帳は、落とすためにある」

 駅の落とし物掲示板によく手帳が出ているが、手帳は「落とすことを前提」として、「落としたことに気づくようなメモ帳」に仕立てるのがいい。つまり重要事項はけっして記さないこと。そもそも手帳に記された瞬間、それは重要事項ではなくなるだろう。気にかかっていた女性の名前を書きとめたとたん、単なる一つの女性名に転落するように。

 語感、また五覚で写し取られた散文の風景は、個性的であるとともに普遍性をおびていて、誰にもサイン、コサインの呪文のように未分化のふるさとへと誘ってくれる。

「散歩中の犬が、笑っている」

 目が合うとほほえみたくなる。舌を垂らしてゼイゼイ言っていても、犬の全身が笑っているからだ。

「……グライダー、そのものはいたって静かに空を滑り、地上の妄念を浄化しているように見える」

 現代はむろん轟音とともに飛びつづけるジェット機の時代である。ひと一倍敏感なセンスをもってこのニッポン国に生まれ合わせた著者が、この国の日常のたえがたさを、あざやかに抽象化、また浄化したぐあいなのだ。

 狸、狐、人魂、ろくろ首……。平山蘆江(ろこう)『蘆江怪談集』は目次に先立ち、あやかしの元らしいのが七つ並んで、それぞれに歌が添えてある。三つ目入道だと、「無理と依怙地が二人のかたき三つ目はうるさい人の口」。昭和九年(1934)の日付つきだから七十五年前の怪談集が甦った。

「十人の中(うち)、三人ぐらゐはチヨン髷(まげ)であつてまだ蝙蝠傘といふものゝ珍らしい時分の事、東京の山の手に一軒空家があつた」

 テンポのいい語り口、シャレた筋立て、セリフ廻しの絶妙さ。何よりもここには夜はもとより、昼日中にも、静まり返った日常がある。ときおり物売りの声が遠くを流れていくだけ。あるいは飼犬の遠吠え。現代はのっぺらぼうがブランド物の背広を着ているが、昔は逢魔(おうま)が時にそっと湯につかっていた。

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いけうち・おさむ 1940年生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。近著訳書に『変身』(カフカ)、『森の紳士録』

<サンデー毎日 2009年11月15日号より>

2009年11月4日

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