銀幕閑話

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第280回 パク・チャヌク監督の新しい世界

「乾き」の一場面 (C)2009 CJ ENTERTAINMENT INC.,FOCUS FEATURES INTERNATIONAL & MOHO FILM. ALL RIGHTS RESERVED
「乾き」の一場面 (C)2009 CJ ENTERTAINMENT INC.,FOCUS FEATURES INTERNATIONAL & MOHO FILM. ALL RIGHTS RESERVED

 「復讐(ふくしゅう)三部作」で、フツフツと煮えたぎる人間の情念を、スクリーンに焼き付けた韓国のパク・チャヌク監督。09年のカンヌ映画祭で、審査員賞を受賞した最新作「乾き」は、架空の魔物であるバンパイアを題材に、倫理と本能の間を揺れ動く男女の苦悩と快楽を描いた作品だ。ヒロインを演じたキム・オクビンさんのにおい立つような魅力は特筆ものだ。

 パク監督は「復讐者に憐れみを」(02年)、「オールド・ボーイ」(03年)、「親切なクムジャさん」(05年)の「復讐三部作」で怨念(おんねん)から暴力、殺人へとエスカレートしていく、「負の連鎖」をさまざまな形で描いて見せた。ところが今回の「乾き」では、「これは復讐だ」といって、殺人を無理やりにでも正当化しようとする動機が見当たらない。強いていえば、自分の快楽のために邪魔者を除くのである。これはパク監督の心境の変化なのか、それとも製作上の選択なのだろうか。

テジュ(キム・オクビンさん)は夫(シン・ハギュンさん)からしばしば暴力を受けている
テジュ(キム・オクビンさん)は夫(シン・ハギュンさん)からしばしば暴力を受けている

 病院で患者をみとることに疲れ果て、無力感を募らせていた神父のサンヒョン(ソン・ガンホさん)が、せめて人助けをしたいと、アフリカの研究所を訪ねるところから物語は始まる。

 研究所では、謎のウイルスに対するワクチンの開発が進められていた。その実験に身を投じたサンヒョンも発病するが、正体不明の血液を輸血され、死のふちから奇跡的に復活する。だが、命と引き換えにバンパイアに変身していたのだ。

 人の血を吸わないでは生きていけない体になったサンヒョンは、病院のベッドに眠る患者の点滴チューブを口にくわえ血を吸い始める。ベッド下に寝転び、まるでおいしいジュースを飲むかのように。首筋をかんで血を吸うという攻撃的な手法ではなく、お気楽な姿勢で飲む姿に思わず笑ってしまうのだが、映画の中とはいえ、人の血を粗末に扱っていないだろうかという疑問も同時にわいてくるのである。いや、これは生きることの困難さとひたむきさを、神父の視点で描いているのだからいいのだという見方もできる。賛否両論があるスレスレの表現だといえるかもしれない。

サンヒョン(ソン・ガンホさん)は聖職者の立場を忘れ人妻のテジュを愛してしまう
サンヒョン(ソン・ガンホさん)は聖職者の立場を忘れ人妻のテジュを愛してしまう

 一方で、サンヒョンは、夫と義理の母から抑圧された人妻テジュ(キムさん)を見て官能的なうずきを覚える。テジュもサンヒョンに強く引かれ、聖職者と人妻という道徳に背く者同士のめくるめく愛の世界が展開されていく。禁断の味にこそ人は引き付けられる。障害があればあるほど人の心は燃え上がるということだろう。その展開には説得力がある。

 しかし愛する男にかまれ、男と同様に超能力を身に着けたテジュが、愛欲だけでなく暴力にも快楽を感じるようになったとすれば……。人間の業について深く考えさせる問題作だ。

 脇を固めたシン・ハギュンさんと同様、「JSA」(00年)、「復讐者に憐れみを」(02年)などにも出演して、パク監督から信頼の厚いソンさんは、聖職者とバンパイアという二つの顔を持つ難しい役どころを怪演している。ソンさんという韓国を代表する男優を相手に、薄幸の人妻から欲望を奔出させる女神に大胆に変身していく姿をあやしく濃厚に演じ切ったキムさんが魅力的だ。

2人は愛におぼれていくが……
2人は愛におぼれていくが……

 パク監督の作品には必ず、美人か将来性ある大型新人が起用される。「JSA」と「親切なクムジャさん」(05年)ではドラマ「宮廷女官 チャングムの誓い」のイ・ヨンエさん、「復讐者に憐れみを」は「空気人形」(09年)のペ・ドゥナさん、「オールド・ボーイ」(03年)はカン・ヘジョンさん、「サイボークでも大丈夫」(06年)はイム・スジョンさん。こう並べていくと、どうやら監督は目が大きくて、眼力(めぢから)のある女性がお気に入りのようだ。

 出演した女優はその後、別の大作や有名監督に起用されるなどして、大きく羽ばたいている。パク監督の卓越した眼力(がんりき)と言うべきだろう。

パク・チャヌク監督
パク・チャヌク監督

 「乾き」は27日からヒューマントラストシネマ有楽町(東京都千代田区)、新宿武蔵野館(東京都新宿区)ほか全国で公開。【紀平重成】

2010年2月5日

紀平重成(きひら・しげなり)
74年毎日新聞入社。静岡支局、東京本社社会部、生活家庭部などを経て、同部編集委員としてシニア問題を担当し、高齢者のライフスタイルなどに関する記事を執筆。03年からは本コラムで中国語圏映画を中心にアジア映画の話題を連載中。10年2月から福祉関連の財団に勤務しつつ、中国や香港、台湾、韓国に出かけ、新作映画の取材や、アジアの映画シーンをウオッチしている。
 

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