阪神大震災

写真家の長島義明さんが発生直後に撮影した被災地

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  • 横倒しになった高速道路。トラックが重なるように転がり、車体の底を見せていた=神戸市東灘区で1995年1月17日、長島義明さん撮影
    横倒しになった高速道路。トラックが重なるように転がり、車体の底を見せていた=神戸市東灘区で1995年1月17日、長島義明さん撮影
  • 横倒しになった高速道路=神戸市東灘区あたりで1995年1月17日、長島義明さん撮影
    横倒しになった高速道路=神戸市東灘区あたりで1995年1月17日、長島義明さん撮影
  • 地震発生から3日目になるというのに、まだ燃え続ける神戸・長田地区。空から見ると、その焼けた広さに驚く=1995年1月19日、長島義明さん撮影
    地震発生から3日目になるというのに、まだ燃え続ける神戸・長田地区。空から見ると、その焼けた広さに驚く=1995年1月19日、長島義明さん撮影
  • 焼け落ちた街には、がれきの下に多くの被災した死者が埋もれていた。自衛隊や警察の機動隊員らが懸命に発掘作業を続け、韓国からも捜索に隊員が参加した=神戸市長田区の菅原市場周辺で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    焼け落ちた街には、がれきの下に多くの被災した死者が埋もれていた。自衛隊や警察の機動隊員らが懸命に発掘作業を続け、韓国からも捜索に隊員が参加した=神戸市長田区の菅原市場周辺で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 焼け落ちた街、神戸市長田区で=1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    焼け落ちた街、神戸市長田区で=1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 「戦災後、こんな恐ろしい目にあったのは初めて」と語った老夫妻。背後には戦争後のような焼け跡が広がっていた=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    「戦災後、こんな恐ろしい目にあったのは初めて」と語った老夫妻。背後には戦争後のような焼け跡が広がっていた=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • この怒りを誰にぶつけたらいいのか。相手のいない被災に怒りが募るようだ=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    この怒りを誰にぶつけたらいいのか。相手のいない被災に怒りが募るようだ=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • この怒りを誰にぶつけたらいいのか。相手のいない被災に怒りが募るようだ=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    この怒りを誰にぶつけたらいいのか。相手のいない被災に怒りが募るようだ=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 焼け落ちた市場のアーケード=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    焼け落ちた市場のアーケード=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 焼け落ちた市場のアーケード=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    焼け落ちた市場のアーケード=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 倒壊した家々の中、布団を運ぶ被災者=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    倒壊した家々の中、布団を運ぶ被災者=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 家々が倒壊した中をゆく被災者=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    家々が倒壊した中をゆく被災者=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 「何もかも燃えてしもうたんや。この先どうなるかわからへん」。男性がまだくすぶる焼け跡で仕事先へと電話をしていた=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    「何もかも燃えてしもうたんや。この先どうなるかわからへん」。男性がまだくすぶる焼け跡で仕事先へと電話をしていた=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 「36年間、頑張って築いてきた仕事や生活が、すべて灰になってしもた」。男性が黒焦げになったボイラーを力なく蹴飛ばした=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    「36年間、頑張って築いてきた仕事や生活が、すべて灰になってしもた」。男性が黒焦げになったボイラーを力なく蹴飛ばした=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 「・・・・・」。焼け跡に立つ被災者の家族。靴音さえ拒まれるような時間だった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    「・・・・・」。焼け跡に立つ被災者の家族。靴音さえ拒まれるような時間だった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 焼け跡にぼうぜんと立つ男性=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    焼け跡にぼうぜんと立つ男性=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 思い出を探しているのだろうか。焼け跡で何かを探す子ども=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    思い出を探しているのだろうか。焼け跡で何かを探す子ども=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 焼け跡で何かを探す被災者=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    焼け跡で何かを探す被災者=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 消息を知らせる急ごしらえの伝言板が各地で掲げられていた=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
    消息を知らせる急ごしらえの伝言板が各地で掲げられていた=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 横倒しになった高速道路。トラックが重なるように転がり、車体の底を見せていた=神戸市東灘区で1995年1月17日、長島義明さん撮影
  • 横倒しになった高速道路=神戸市東灘区あたりで1995年1月17日、長島義明さん撮影
  • 地震発生から3日目になるというのに、まだ燃え続ける神戸・長田地区。空から見ると、その焼けた広さに驚く=1995年1月19日、長島義明さん撮影
  • 焼け落ちた街には、がれきの下に多くの被災した死者が埋もれていた。自衛隊や警察の機動隊員らが懸命に発掘作業を続け、韓国からも捜索に隊員が参加した=神戸市長田区の菅原市場周辺で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 焼け落ちた街、神戸市長田区で=1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 「戦災後、こんな恐ろしい目にあったのは初めて」と語った老夫妻。背後には戦争後のような焼け跡が広がっていた=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • ぽつんと置かれた花束やコーヒー、お茶、お酒、おにぎりなどは遺族のねぎらいであろう。焼け跡の中でそれが一番悲しさをさそった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • この怒りを誰にぶつけたらいいのか。相手のいない被災に怒りが募るようだ=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • この怒りを誰にぶつけたらいいのか。相手のいない被災に怒りが募るようだ=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 焼け落ちた市場のアーケード=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 焼け落ちた市場のアーケード=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 倒壊した家々の中、布団を運ぶ被災者=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 家々が倒壊した中をゆく被災者=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 「何もかも燃えてしもうたんや。この先どうなるかわからへん」。男性がまだくすぶる焼け跡で仕事先へと電話をしていた=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 「36年間、頑張って築いてきた仕事や生活が、すべて灰になってしもた」。男性が黒焦げになったボイラーを力なく蹴飛ばした=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 「・・・・・」。焼け跡に立つ被災者の家族。靴音さえ拒まれるような時間だった=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 焼け跡にぼうぜんと立つ男性=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 思い出を探しているのだろうか。焼け跡で何かを探す子ども=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 焼け跡で何かを探す被災者=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影
  • 消息を知らせる急ごしらえの伝言板が各地で掲げられていた=神戸市長田区で1995年1月20日過ぎ、長島義明さん撮影

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