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見つめ続ける・大震災 語り継ぐ命 オンラインで涙共有

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  • 自宅のリビングで震災の教訓を伝えた田村さん夫妻。弘美さんは「息子の最期を考えれば、悲しむだけの親ではありたくなかった。息子への愛情が活動の力となって、それだけで今まで来た」と語る。オンラインで思いが伝わり、「教育現場で子どもの命を守りたい」と誓う参加者の話に涙を流した=宮城県大崎市で2020年6月20日、佐々木順一撮影
    自宅のリビングで震災の教訓を伝えた田村さん夫妻。弘美さんは「息子の最期を考えれば、悲しむだけの親ではありたくなかった。息子への愛情が活動の力となって、それだけで今まで来た」と語る。オンラインで思いが伝わり、「教育現場で子どもの命を守りたい」と誓う参加者の話に涙を流した=宮城県大崎市で2020年6月20日、佐々木順一撮影
  • オンライン会議システム「Zoom」を使用し、参加者に語りかける田村さん夫妻。自宅などリラックスした雰囲気で話を聞ける利点を生かし、より多くの人に教訓を学び、関心を持ってほしいと考えている=宮城県大崎市で2020年6月20日、佐々木順一撮影
    オンライン会議システム「Zoom」を使用し、参加者に語りかける田村さん夫妻。自宅などリラックスした雰囲気で話を聞ける利点を生かし、より多くの人に教訓を学び、関心を持ってほしいと考えている=宮城県大崎市で2020年6月20日、佐々木順一撮影
  • 自宅のリビングにノートパソコンを置き、オンラインで東日本大震災の教訓を伝えた田村さん夫妻。意見交換中、参加者の話に弘美さん(左)は涙を流した=宮城県大崎市で2020年6月20日、佐々木順一撮影
    自宅のリビングにノートパソコンを置き、オンラインで東日本大震災の教訓を伝えた田村さん夫妻。意見交換中、参加者の話に弘美さん(左)は涙を流した=宮城県大崎市で2020年6月20日、佐々木順一撮影
  • 2015年に一部遺族が建てた慰霊のモニュメント。銀行があった地区を望む高台で語り部活動を行っていたが、3月末から自粛している。孝行さんは「オンラインでつながった人たちが、訪れる日が来ることを願っている」と話した=宮城県女川町で2020年6月21日、佐々木順一撮影
    2015年に一部遺族が建てた慰霊のモニュメント。銀行があった地区を望む高台で語り部活動を行っていたが、3月末から自粛している。孝行さんは「オンラインでつながった人たちが、訪れる日が来ることを願っている」と話した=宮城県女川町で2020年6月21日、佐々木順一撮影
  • 七十七銀行女川支店が被災した地区では、かさ上げ工事が終わり、スーパー(左端の緑色の建物)や飲食店がオープンした。奥は女川町地域医療センター=宮城県女川町で2020年6月21日、佐々木順一撮影
    七十七銀行女川支店が被災した地区では、かさ上げ工事が終わり、スーパー(左端の緑色の建物)や飲食店がオープンした。奥は女川町地域医療センター=宮城県女川町で2020年6月21日、佐々木順一撮影
  • 津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町の市街地。中央の白い建物が七十七銀行女川支店。奥の高台にあるのは女川町地域福祉センター(左)と女川町立病院(現女川町地域医療センター)=2011年3月14日、本社機から貝塚太一撮影
    津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町の市街地。中央の白い建物が七十七銀行女川支店。奥の高台にあるのは女川町地域福祉センター(左)と女川町立病院(現女川町地域医療センター)=2011年3月14日、本社機から貝塚太一撮影
  • 津波で壊滅的な被害を受けた市街地。中央は12人が犠牲になった七十七銀行女川支店=宮城県女川町で2011年3月14日午後3時43分、本社機から貝塚太一撮影
    津波で壊滅的な被害を受けた市街地。中央は12人が犠牲になった七十七銀行女川支店=宮城県女川町で2011年3月14日午後3時43分、本社機から貝塚太一撮影
  • 津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町の市街地=2011年3月19日午後2時39分、本社ヘリから塩入正夫撮影
    津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町の市街地=2011年3月19日午後2時39分、本社ヘリから塩入正夫撮影
  • 弘美さんの実家を改修して作った新たな活動拠点。訪れた人たちに震災のことを伝えて防災について語り合う場にしたいと考えている=宮城県松島町で2020年6月21日、佐々木順一撮影
    弘美さんの実家を改修して作った新たな活動拠点。訪れた人たちに震災のことを伝えて防災について語り合う場にしたいと考えている=宮城県松島町で2020年6月21日、佐々木順一撮影
  • 弘美さん(中央右)の実家を改修して作った新たな活動拠点。室内には写真や新聞記事が張られ、訪れた人たちと震災の教訓やこれからの防災について語り合う場にしたいと考えている=宮城県松島町で2020年6月21日、佐々木順一撮影
    弘美さん(中央右)の実家を改修して作った新たな活動拠点。室内には写真や新聞記事が張られ、訪れた人たちと震災の教訓やこれからの防災について語り合う場にしたいと考えている=宮城県松島町で2020年6月21日、佐々木順一撮影
  • 自宅のリビングで震災の教訓を伝えた田村さん夫妻。弘美さんは「息子の最期を考えれば、悲しむだけの親ではありたくなかった。息子への愛情が活動の力となって、それだけで今まで来た」と語る。オンラインで思いが伝わり、「教育現場で子どもの命を守りたい」と誓う参加者の話に涙を流した=宮城県大崎市で2020年6月20日、佐々木順一撮影
  • オンライン会議システム「Zoom」を使用し、参加者に語りかける田村さん夫妻。自宅などリラックスした雰囲気で話を聞ける利点を生かし、より多くの人に教訓を学び、関心を持ってほしいと考えている=宮城県大崎市で2020年6月20日、佐々木順一撮影
  • 自宅のリビングにノートパソコンを置き、オンラインで東日本大震災の教訓を伝えた田村さん夫妻。意見交換中、参加者の話に弘美さん(左)は涙を流した=宮城県大崎市で2020年6月20日、佐々木順一撮影
  • 2015年に一部遺族が建てた慰霊のモニュメント。銀行があった地区を望む高台で語り部活動を行っていたが、3月末から自粛している。孝行さんは「オンラインでつながった人たちが、訪れる日が来ることを願っている」と話した=宮城県女川町で2020年6月21日、佐々木順一撮影
  • 七十七銀行女川支店が被災した地区では、かさ上げ工事が終わり、スーパー(左端の緑色の建物)や飲食店がオープンした。奥は女川町地域医療センター=宮城県女川町で2020年6月21日、佐々木順一撮影
  • 津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町の市街地。中央の白い建物が七十七銀行女川支店。奥の高台にあるのは女川町地域福祉センター(左)と女川町立病院(現女川町地域医療センター)=2011年3月14日、本社機から貝塚太一撮影
  • 津波で壊滅的な被害を受けた市街地。中央は12人が犠牲になった七十七銀行女川支店=宮城県女川町で2011年3月14日午後3時43分、本社機から貝塚太一撮影
  • 津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町の市街地=2011年3月19日午後2時39分、本社ヘリから塩入正夫撮影
  • 弘美さんの実家を改修して作った新たな活動拠点。訪れた人たちに震災のことを伝えて防災について語り合う場にしたいと考えている=宮城県松島町で2020年6月21日、佐々木順一撮影
  • 弘美さん(中央右)の実家を改修して作った新たな活動拠点。室内には写真や新聞記事が張られ、訪れた人たちと震災の教訓やこれからの防災について語り合う場にしたいと考えている=宮城県松島町で2020年6月21日、佐々木順一撮影

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