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原発事故後に原乳出荷を再開した蛭田博章さん

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  • 牛舎いっぱいに増えた牛を世話する蛭田博章さん。「牛の死を悼み全国から寄せられた励ましの声に応えたい」=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
    牛舎いっぱいに増えた牛を世話する蛭田博章さん。「牛の死を悼み全国から寄せられた励ましの声に応えたい」=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
  • 出荷再開の朝に生まれた子牛を拭き、笑顔を見せる蛭田さん。「命を預かる重みを改めて感じた」=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
    出荷再開の朝に生まれた子牛を拭き、笑顔を見せる蛭田さん。「命を預かる重みを改めて感じた」=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
  • 牛がいなくなって除染を終え、閑散とした牛舎にたたずむ蛭田博章さん。震災から2年が過ぎた頃は「何とか夢が叶うなら、またここに牛の鳴き声が響き渡るようにしたい」と話していた=福島県楢葉町で2013年8月9日、森田剛史撮影
    牛がいなくなって除染を終え、閑散とした牛舎にたたずむ蛭田博章さん。震災から2年が過ぎた頃は「何とか夢が叶うなら、またここに牛の鳴き声が響き渡るようにしたい」と話していた=福島県楢葉町で2013年8月9日、森田剛史撮影
  • 除染後に再び雑草が生い茂った田んぼに分け入る酪農家の蛭田博章さん。旧警戒区域内で130頭の乳牛を飼っていたが、避難指示により酪農を一時断念した。「やめるのはいつでもできるが、農業を離れて後悔したくない。『みんな、がんばっぺ』と、今は目の前の草を刈り、地域の人たちに帰還する気持ちを持ってほしい」=福島県楢葉町で2013年8月9日、森田剛史撮影
    除染後に再び雑草が生い茂った田んぼに分け入る酪農家の蛭田博章さん。旧警戒区域内で130頭の乳牛を飼っていたが、避難指示により酪農を一時断念した。「やめるのはいつでもできるが、農業を離れて後悔したくない。『みんな、がんばっぺ』と、今は目の前の草を刈り、地域の人たちに帰還する気持ちを持ってほしい」=福島県楢葉町で2013年8月9日、森田剛史撮影
  • 事務所のホワイトボードに長女あやのさんが書いた「俳句」と絵が残っていた。蛭田さんはじっと見つめ「家族で酪農を営んでいた証しが、いとおしかった。また娘に世話させてあげたい」とつぶやいた=福島県楢葉町で2013年8月29日、森田剛史撮影
    事務所のホワイトボードに長女あやのさんが書いた「俳句」と絵が残っていた。蛭田さんはじっと見つめ「家族で酪農を営んでいた証しが、いとおしかった。また娘に世話させてあげたい」とつぶやいた=福島県楢葉町で2013年8月29日、森田剛史撮影
  • 震災前は130頭の牛の鳴き声が響き渡っていた酪農家、蛭田博章さんの牧場。東電福島第1原発事故の避難指示により牛たちは息絶え、空になった牛舎と牧草地に桜の花びらが舞い落ちていた=福島県楢葉町で2015年4月13日、森田剛史撮影
    震災前は130頭の牛の鳴き声が響き渡っていた酪農家、蛭田博章さんの牧場。東電福島第1原発事故の避難指示により牛たちは息絶え、空になった牛舎と牧草地に桜の花びらが舞い落ちていた=福島県楢葉町で2015年4月13日、森田剛史撮影
  • 試験搾乳した原乳を、廃棄処分のためドラム缶にホースを使って移し替える蛭田博章さん(左奥)=福島県楢葉町で2016年12月27日、森田剛史撮影
    試験搾乳した原乳を、廃棄処分のためドラム缶にホースを使って移し替える蛭田博章さん(左奥)=福島県楢葉町で2016年12月27日、森田剛史撮影
  • 試験搾乳され、廃棄処分のためドラム缶にためられた牛乳=福島県楢葉町で2016年12月26日、森田剛史撮影
    試験搾乳され、廃棄処分のためドラム缶にためられた牛乳=福島県楢葉町で2016年12月26日、森田剛史撮影
  • 出荷再開の朝に産気づいた母牛から子牛を引き出す蛭田博章さん(右)=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
    出荷再開の朝に産気づいた母牛から子牛を引き出す蛭田博章さん(右)=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
  • 原乳出荷再開の朝、子牛が生まれ笑顔を見せる蛭田博章さん=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
    原乳出荷再開の朝、子牛が生まれ笑顔を見せる蛭田博章さん=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
  • 出荷を再開した朝、搾乳した原乳を集乳業者に引き渡す蛭田博章さん(左)=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
    出荷を再開した朝、搾乳した原乳を集乳業者に引き渡す蛭田博章さん(左)=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
  • 牛舎の裏山で牧草を食(は)み、体を休める牛。徹底した除染作業で放牧できるようになった=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
    牛舎の裏山で牧草を食(は)み、体を休める牛。徹底した除染作業で放牧できるようになった=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
  • 牛舎いっぱいに増えた牛を世話する蛭田博章さん=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
    牛舎いっぱいに増えた牛を世話する蛭田博章さん=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
  • 地域の人手不足を補うため導入したロボット搾乳機を操作する蛭田さん。「作業で手にしていたフォークやスコップなどが、今はマウスに変わりました」=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
    地域の人手不足を補うため導入したロボット搾乳機を操作する蛭田さん。「作業で手にしていたフォークやスコップなどが、今はマウスに変わりました」=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
  • 試験搾乳を始める前に生まれ、長女あやのさんが当時「スタート」と名付けた牛(右)が大きく育ち、笑顔を見せる蛭田博章さん=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
    試験搾乳を始める前に生まれ、長女あやのさんが当時「スタート」と名付けた牛(右)が大きく育ち、笑顔を見せる蛭田博章さん=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
  • 牛舎いっぱいに増えた牛を世話する蛭田博章さん。「牛の死を悼み全国から寄せられた励ましの声に応えたい」=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
  • 出荷再開の朝に生まれた子牛を拭き、笑顔を見せる蛭田さん。「命を預かる重みを改めて感じた」=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
  • 牛がいなくなって除染を終え、閑散とした牛舎にたたずむ蛭田博章さん。震災から2年が過ぎた頃は「何とか夢が叶うなら、またここに牛の鳴き声が響き渡るようにしたい」と話していた=福島県楢葉町で2013年8月9日、森田剛史撮影
  • 除染後に再び雑草が生い茂った田んぼに分け入る酪農家の蛭田博章さん。旧警戒区域内で130頭の乳牛を飼っていたが、避難指示により酪農を一時断念した。「やめるのはいつでもできるが、農業を離れて後悔したくない。『みんな、がんばっぺ』と、今は目の前の草を刈り、地域の人たちに帰還する気持ちを持ってほしい」=福島県楢葉町で2013年8月9日、森田剛史撮影
  • 事務所のホワイトボードに長女あやのさんが書いた「俳句」と絵が残っていた。蛭田さんはじっと見つめ「家族で酪農を営んでいた証しが、いとおしかった。また娘に世話させてあげたい」とつぶやいた=福島県楢葉町で2013年8月29日、森田剛史撮影
  • 震災前は130頭の牛の鳴き声が響き渡っていた酪農家、蛭田博章さんの牧場。東電福島第1原発事故の避難指示により牛たちは息絶え、空になった牛舎と牧草地に桜の花びらが舞い落ちていた=福島県楢葉町で2015年4月13日、森田剛史撮影
  • 試験搾乳した原乳を、廃棄処分のためドラム缶にホースを使って移し替える蛭田博章さん(左奥)=福島県楢葉町で2016年12月27日、森田剛史撮影
  • 試験搾乳され、廃棄処分のためドラム缶にためられた牛乳=福島県楢葉町で2016年12月26日、森田剛史撮影
  • 出荷再開の朝に産気づいた母牛から子牛を引き出す蛭田博章さん(右)=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
  • 原乳出荷再開の朝、子牛が生まれ笑顔を見せる蛭田博章さん=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
  • 出荷を再開した朝、搾乳した原乳を集乳業者に引き渡す蛭田博章さん(左)=福島県楢葉町で2017年1月24日、森田剛史撮影
  • 牛舎の裏山で牧草を食(は)み、体を休める牛。徹底した除染作業で放牧できるようになった=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
  • 牛舎いっぱいに増えた牛を世話する蛭田博章さん=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
  • 地域の人手不足を補うため導入したロボット搾乳機を操作する蛭田さん。「作業で手にしていたフォークやスコップなどが、今はマウスに変わりました」=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影
  • 試験搾乳を始める前に生まれ、長女あやのさんが当時「スタート」と名付けた牛(右)が大きく育ち、笑顔を見せる蛭田博章さん=福島県楢葉町で2021年2月19日、森田剛史撮影

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