道内在住の作家、原田康子さんが20日亡くなった。代表作「挽歌(ばんか)」「海霧」の舞台となり、文学活動の原点となった釧路をはじめ、多くの人たちが原田さんの死を悼んだ。
小説「挽歌」は女性主人公が妻子ある男性にあこがれ、自由奔放に振る舞う物語。80年に地元紙が「挽歌」を特別掲載した時に挿絵を担当した画家の羽生輝さん(68)は原田さんから「湿原の持つすごみが伝わる」と賛辞を受け、「海霧」連載時も原田さんの推薦で挿絵を担当した。
後に原田さんから「(東京の画家は)開拓時代というと脚の太いドサンコとか、もんぺ姿の女性ばかり」と不満を明かされたが、その後、羽生さん自身も数回、不満を言われたこともあるという。「画家もある程度のものを持っていないといけなかった」と、原田さんの仕事に対する厳しさを回想した。
「挽歌」を発表した同人誌「北海文学」の活動にかかわった元釧路文学団体協議会事務局次長の番場康高さん(69)は「作家というより普通の主婦。気さくでさばけた人だった」と振り返る。北海文学は、原田さんに大きな影響を与えた地元の文学者、鳥居省三氏が創刊した。鳥居氏の死去で06年12月に休刊したが、「一緒にあの世に送ってあげた方がいい」と原田さんは休刊に賛成した。「若き日の原田さんは鳥居さんの後ろ姿を見て、一層ペンを走らせたのだろう」と話した。
原田さんが入院する春先まで札幌市の自宅を訪れていた道立文学館の平原一良副館長(62)によると、原田さんは一時、体重25キロまでやせながら長編を書くための体力回復を図っていたという。平原副館長は「戦中・戦後のご主人の体験について長編を書きたいとおっしゃっていた。後は書き始めるばかりだったが……。三浦綾子さんとともに北海道の文学界にとって大きな存在だった」と話した。
釧路市のぬさまい公園に98年建立された「挽歌の碑」で、建立期成会理事長を務めた会社役員、井上淳さん(81)は「釧路という題材をずっと持ち続けた人。こんなことならもっと話をしたかった」と惜しんだ。【山田康雄】
毎日新聞 2009年10月21日 22時59分