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野球を諦めない

/2 新潟、けが防ぐ指導徹底

協力し合う富樫さん(左から2人目)と石川さん(同3人目)ら=新潟市内で、高瀬浩平撮影
野球指導教本「新潟メソッド」

 <第88回選抜高校野球>

     新潟県でこの冬、「野球バイブル」のような冊子が生まれた。硬式や軟式、世代を超えて集まった県内の野球9団体が編集した「新潟メソッド」だ。子どもをけがから守り、礼儀やマナーを身につけさせ、甲子園で勝つために指導者や保護者が守るべきことを記した教本だ。

     新潟はかつて「野球弱小県」と言われた。雪国のハンディもあり、2006年にようやくセンバツ初勝利を挙げた。県立高の野球部長として甲子園を経験した富樫信浩さん(54)は、08年に県高野連理事長に就くと、県内の指導者たちと強化の道を探った。入り口は、だれもが悩む野球障害の予防にした。

     草野球チーム「アルプススタンズ」は、「甲子園のアルプス席で教え子を応援したい」と夢見る教諭たちの集まり。ここで一緒にプレーしていた中学教諭の石川智雄さん(51)に声をかけた。富樫さんが捕手、石川さんは投手だった。

     石川さんは小学4年から投手一筋。中学時代は多い日に300球を投げた。長岡高では、140キロ台の速球で鳴らした。ところが2年の時に死球を受けて右腕を骨折。肘をかばう投球に長年の疲労が重なり、肩が上がらなくなった。高3の夏、「野球はこれで終わり」と思い詰めて新潟大会もマウンドに立ち、準決勝で敗れた。地元で中学教諭になり、軟式野球部で指導していた。自身の経験から石川さんは富樫さんの考えに賛同した。新潟の野球を変える“バッテリー”が生まれた。

     日本高野連は1993年夏の甲子園から投手の肩や肘の検査を実施。13年夏から大会中に休養日を導入、投手の負担を軽くした。新潟は一歩先を行く。高校球児だった整形外科医、山本智章さん(56)も加わって、けがを防ぐストレッチの方法や医師の受診記録を記入できる「野球手帳」を12年に作った。県内の小中学生に配布し、多くの投手が肘や肩の検診を受けている。石川さんは投球練習は1日50〜80球に抑えるよう指導。「まだゴールじゃないんだよ」と諭す。

     けが防止をきっかけに指導者間の交流が進み、新潟の野球は強くなった。日本文理が09年夏の甲子園で準優勝。決勝は、6点差で迎えた九回に5点を挙げ、名勝負として語られる。14年夏も4強入りした。県高野連の理事長を退任した後も富樫さんは「大優勝旗を持って帰ってほしい」とけん引役となっている。雪国新潟が日本の野球に新風を吹き込んでいる。【高瀬浩平】=つづく

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