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義足で踏んだ夢に見た土 釜石高・沢田投手

甲子園練習でチームメートと一斉に飛び出す釜石の沢田一輝投手(左)=阪神甲子園球場で2016年3月16日、宮武祐希撮影

 第88回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)に21世紀枠で出場する釜石(岩手)が16日、甲子園練習に臨み、左腕の沢田一輝投手(2年)が憧れの土を踏んだ。2歳の時に右脚を切断し、義足を着けている。この日は、一塁の守備練習。懸命にゴロをさばいた。「野球を続けるのがやっとで、甲子園は目標でさえなかった。野球を続けてきてよかった」と話した。

 生まれつき右脚が不自由だった。医師から「このままでは歩けなくなる」と告げられ、2歳の時に膝から下を切断。小学5年で野球チームに入ろうとした。父祐一さん(45)は「練習についていけるか心配」と反対したが、最後は「音を上げてやめると言うな」と後押ししてくれた。

 小6だった2011年3月11日。岩手県釜石市を大津波が襲った。一緒にいた友達と高台へ向かったが、脚を再手術したばかりで、思うように走れない。友達に「先に行っていいよ」と告げたが、背負って逃げてくれた。

 津波で街は一変し、自宅は全壊。民間賃貸住宅を借り上げたみなし仮設で暮らす。生きるのに必死なのに、中学で野球を続けるべきか迷った。全国から野球道具が届き、家族から「好きなことをやればいい」と背中を押されて軟式野球部に入った。高校には硬式しかない。ためらっていると中学の先輩が「野球部でいいんじゃないか」と声を掛けてくれた。数々の岐路で両親や友達らに支えられた。

 高校で投手に転じた。手先が器用で、カーブやシュートを次々と覚えた。控えなので、試合中は大きな声でチームを盛り上げ、捕手の防具着装を手伝う。中村翔斗選手(2年)は「あいつは義足を言い訳にするのが嫌い。練習内容はみんなと一緒で、手を貸すこともない」と話す。今月上旬の練習試合で打ち込まれた。佐々木偉彦(たけひこ)監督(32)は「まだまだ全部が足りない」と厳しい。

 03年夏の甲子園で「義足の三塁手」として活躍した今治西(愛媛)の曽我健太さん(30)をネット動画で見たことがある。励みになった。曽我さんは「脚のことは気にせず、自分のプレーをしてほしい。後になって、多くの人を勇気づけたことに気づくと思う」とエールを送る。

 今大会の始球式は、障害のある中高生が投手と捕手を務める。沢田投手は「同じ境遇にある人がプラスに考えてくれればいい」と思うが、脚に注目されるのは歯がゆい。「実力で評価され、試合でマウンドに立ちたい」【藤井朋子、武内彩】

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