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第88回選抜高校野球

創志学園の2選手、精いっぱいのプレー誓う 支えてくれた人との絆、宝物 /岡山

 <センバツ2016>

     センバツに出場する創志学園の選手たちには、それぞれ大事にしている「宝物」がある。シャープな打撃で1番を任される難波侑平選手(2年)は、応援し続けてくれた亡き祖父の写真。エースの高田萌生投手(3年)は中学3年の時の恩師と交わした「生活ノート」だ。支えてもらった人との強い絆が分かる思い出の品に、2人は本番での精いっぱいのプレーを誓う。【林田奈々】

    祖父、利麿さん(右側の人物)の写真を大切にする難波侑平選手=大阪市で、林田奈々撮影

     難波選手の祖父、利麿(としまろ)さんは昨年9月、75歳で病気のため亡くなった。スポーツが好きな利麿さんは、難波選手が幼い頃から、野球や水泳などで試合に出ると、ほぼ全てで会場に応援に駆けつけた。優しく見守ってくれる祖父の姿は難波選手にとって励みだった。

     亡くなる前日には野球の話をし、「甲子園に行ってくれよ」と頼まれた。翌日の突然の訃報が信じられなかったが、葬儀が終わった後、父親から託されたのが利麿さんの写真だった。以来、いつもリュックのポケットに写真をしのばせる。

     昨秋の県大会準々決勝で延長十回にチームを救うサヨナラ打を放った。その時の打席でも利麿さんの顔が頭に浮かんだ。「祖父から力をもらった」と振り返る。その祖父と約束した甲子園は現実のものに。難波選手は「祖父はいつも『楽しんでこいよ』と送り出してくれた。祖父の言葉通り、楽しんでプレーしたい」と語る。

    寮で中学時代の「生活ノート」に目を通す高田萌生投手=岡山市北区で、林田奈々撮影

     一方、高田投手は心に迷いが生じた時、「生活ノート」を開くという。新見市出身だが、中学では野球のため高知県の中学校に進学。中学3年の秋に一時的に新見に戻り、新見第一中に転入した。その時の担任だった羽柴昌枝さんと、日々の出来事などをノートで交わした。

     ノートについて、羽柴さんは「プロ野球選手になる夢は本物だと伝わってきた」と思い返す一方、「勉学や人柄の面をおろそかにしてほしくない」と考えて書いていたという。意識的に、野球で活躍した選手が仲間やライバルに向けた感謝の言葉などを取り上げたり、さまざまな知識や教養が人間としての幅につながるということを話題にした。

     「野球以外の大切なことを教えてもらった」と高田投手は感謝し、今もよく読み返すという。高田投手は大舞台で一生懸命、真っすぐにプレーする姿を見せることで恩師に恩返しするつもりだ。

    毎日新聞のアカウント

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