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多治見の監督が使う恩師の「今がチャンス」

選手への決まり文句 突然の出場辞退の過去「水に流して」

 19日開幕の第89回センバツに21世紀枠で初出場する多治見(岐阜)の高木裕一監督(54)は、40年近く憧れていた甲子園にようやくたどり着いた。高校球児として目指した夢舞台は、恩師に絡む突然の出場辞退で断たれ、野球への情熱も消えかけた。再び火をつけたのは多治見ナインのひたむきなプレー。「バックネットの向こう側へ行きたい」との思いが再燃した。止まっていた恩師との時間も動き出した。

 野球を始めたのは小学5年の頃。6年生だった1974年の夏、甲子園で活躍する東海大相模(神奈川)ナインをテレビで見て、洗練されたプレーと縦じまのユニホームに衝撃を受けた。この感動が忘れられず、東海大相模に進学した。

 2年生だったある日。自主トレーニングを終えて寮のロビーでテレビで見ていると、当時チームを率いていた田倉雅雄元監督(62)が話しかけてきた。「今がチャンスじゃないか」。もっと自主トレに励まなければと思って練習を重ね、秋の県大会途中でレギュラーの座を勝ち取った。「妥協しないでよかった」。田倉元監督のあの一言が高木監督の心に刻まれた。

 80年夏の県大会3回戦。四球を連発した投手に気合を入れようと、田倉元監督はベンチに戻ってきた投手の両頬を1回ずつ平手打ちした。これが問題となり、東海大相模は大会途中で出場を辞退。高木監督の最後の夏が終わった。大学でも野球を続けたが、2年生で引退。野球から遠ざかり、卒業後は地元の多治見市役所に就職した。

 監督を引き受けたのは98年6月。元高校球児だったことを知った多治見OBに、廃部寸前だった野球部の再建を頼まれた。夏の大会までと決めていたが、白球に食らいつく選手たちを見るうちに野球への情熱が再びともった。

 「今がチャンスじゃないか」。今では高木監督が選手たちにかける決まり文句だ。苦しい時の一踏ん張りで自分を高めたことを思い起こさせてくれる。

 センバツ出場が決まった1月27日、田倉元監督に電話を入れた。「先生のおかげで決まりました」。恩師の心のどこかに出場辞退の件が引っかかっていたら、水に流してほしいと思った。話していて涙があふれた。

 東海大相模の野球部長を務める田倉元監督はこの春、定年を迎える。「よく頑張ってくれた」。かつての教え子を涙でたたえた。多治見のユニホームは、高木監督が小6の時に憧れた東海大相模と同じ縦じまだ。【沼田亮】

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