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センバツ・思いを一つに

全力、仙台育英に拍手 中盤のリード守れず /宮城

福井工大福井に敗れ、アルプス席の応援団へのあいさつを終えてグラウンドを後にする仙台育英の選手たち=阪神甲子園球場で、木葉健二撮影

 <第89回選抜高校野球>

     第89回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)第4日の23日、2年ぶり12回目出場の仙台育英は福井工大福井(福井)と対戦し、4-6で惜敗した。仙台育英は初回と六回に2点ずつ挙げるなど、中盤まで試合を優位に進めたが、あと一歩及ばなかった。2年ぶりのセンバツ勝利は果たせなかったが、スタンドからは168球の力投を見せた長谷川拓帆投手(3年)や選手たちの精いっぱいのプレーに惜しみない拍手が送られた。【真田祐里、小鍜冶孝志】

    声援を送る堀田知希応援団長(手前左)と部員ら=阪神甲子園球場の三塁側アルプススタンドで

     ▽1回戦

    福井工大福井

      000200022=6

      200002000=4

    仙台育英

     「チームを勝たせることができなかった。ピンチで粘れなかった」。試合後、エースの長谷川投手は悔しさをにじませた。

     初回、先頭の西巻賢二主将(3年)が初球を左前にはじき返す。母直美さん(48)は「戦闘開始。最初にみんなに元気を与える一打を打ってくれた」と喜ぶ。「絶対に打ってやる」。1死一、三塁の好機で、佐川光明選手(3年)が直球をライナーで中前に運んで1点を先制。続く杉山拓海選手(3年)も適時二塁打を放ち、2点目を挙げる。

     しかし、三回までパーフェクト投球を続けていた長谷川投手が2点本塁打を浴びる。同点となり「気持ちを切り替え、打者に集中した」。六回の1死三塁のピンチをしのぎ、攻撃のリズムをつくる。

     その裏、先頭の西巻主将の打球を遊撃手がはじく。「二塁まで行けると判断した」。好走塁で得点圏に進む。鈴木佳祐選手(2年)の内野安打で無死一、三塁となり、長谷川投手が次打者の山田利輝選手(3年)に「頼んだぞ」と声を掛ける。山田選手はその声に応えて犠飛を放つ。勝ち越しの一打に「思いっきりフルスイングした」と振り返る。続く杉山選手は低めの変化球をすくい上げ、鈴木選手を迎え入れる。

     同点の九回、先頭打者の打球を斎藤育輝(なるき)選手(3年)が横っ跳びで捕ってアウトにすると、弟巡瑠(めぐる)さん(9)は「にいにが捕った!」と叫び「頑張れ」とグラウンドを見つめる。

     その後に勝ち越しを許し、2点差で迎えた九回裏2死。代打の尾崎拓海捕手(3年)が打席に立った。左目の負傷で先発出場はできなかったが、昨秋の大会の「4番打者」の登場にスタンドは盛り上がる。甲子園限定のチャンステーマで、2015年夏の甲子園決勝以来使う「スンジョン」のリズムに合わせ、部員らがタオルを回しながら懸命の声援を送る。5球目の直球を強振すると、ボールはミットに収まりゲームセット。尾崎捕手は「振り返ればいろんな悔しい気持ちはあるが、良い糧になればいい。早めに気持ちを切り替えたい」と、夏の甲子園に向けて再スタートを切った。

    震災を乗り越えて

     ○…「震災があって、本気で野球をやめようと思った」。堀田知希投手(3年)は東松島市大曲浜出身。6年前の東日本大震災で自宅は浸水し、友達が津波にのまれた。野球道具は流され、小学校のグラウンドには仮設住宅が建った。「野球をやりたいと思わなかった」。その約1カ月後、小学校を訪れた田中将大投手(現ヤンキース)ら楽天の選手たちとキャッチボールをした。震災後、初めての野球だった。嶋基宏選手(楽天)に帽子のツバにサインをもらい「頑張れよ、負けるな」と声を掛けられた。支援物資で届いたグラブを使い、道路でキャッチボールを始めた。「『野球をする』という嶋選手との約束だった」と振り返る。その4年後に仙台育英に入学。この日は応援団長としてスタンドから声援を送った。「あそこでやめていたら、いまここにはいない。野球ができることは当たり前ではない。最後まで精いっぱい応援したい」とグラウンドを見つめた。

    3人の弟にエール

     ○…この日、スタンドには西巻賢二主将(3年)の兄光二さん(22)と佐川光明選手(3年)の兄由紀さん(22)、笹川雄平選手(2年)の兄太一さん(22)が応援に駆け付けた。3選手はいずれも福島県出身。同じ少年野球チームに所属していた光二さんと太一さんの練習や試合に、西巻主将と笹川選手はいつも一緒に来ていたという。光二さんは「2人は泥だらけになるまで野球を楽しんでいた」と振り返る。由紀さんはライバルチームに所属していたが、3人の弟は仙台育英野球部でチームメートとなり、太一さんは「弟たちが一緒にやっている姿を見られるのはうれしい。本当は雄平にもベンチに入ってほしかったけど」と笑顔。チームは惜しくも敗れたが、由紀さんは「また夏戻って来られるよう頑張ってほしい」とエールを送った。


     ■白球譜

    夏こそ雄姿見せる 仙台育英・3年 小川拓馬選手

     第89回選抜高校野球大会に出場した仙台育英の小川拓馬選手(3年)は、母真弓さん(52)や友人の松倉義弥さん(17)家族への感謝の思いを胸に、甲子園の舞台に立った。この日の試合に出場する機会はなかったが、一塁コーチャーとして仲間のプレーを支えた。試合後、小川選手は「次こそリベンジしたい」と、夏の甲子園の舞台に戻ってくることを誓った。

     小川選手は神奈川県出身。5歳の時、父宗記さんが脳梗塞(こうそく)で倒れた。宗記さんは後遺症で自力歩行も難しく、言葉もほどんど話せないようになった。子供たちと遊ぶことが大好きだった宗記さん。「できないことが一つずつ増えて、悔しくてよく泣いていました」と真弓さんは振り返る。

     真弓さんはパートをしながら、病院に通い詰めた。年の離れた姉絢乃さん(31)や兄遼さん(29)は家を出たため、小学生だった小川選手が一人で留守番することも増えた。

     「拓馬には普通の生活をさせたかった。そんな時に助けてくれたのが、松倉さん一家でした」。小学4年の時、幼なじみで同じ少年野球チームに所属していた松倉さんに「うちでお父さんと一緒に野球の練習をしないか」と誘われた。

     小川選手は小学校から帰宅後、松倉さんの自宅に向かい、父一徳(かずのり)さん(45)と兄功弥さん(20)と一緒に野球の練習に励んだ。一徳さんは野球の経験はなかったが、試合で気付いた点などをメモして、ファイルにまとめた。自主トレーニング用のチェック表も作ってくれた。「よしパパ(一徳さん)は自分の子どものように真剣にアドバイスをくれた。今でもよしパパのくれるアドバイスは大事にしている」

     また真弓さんに代わり、松倉さんの母海津子(みつこ)さん(45)が夕食を作るなど身の回りの世話をしてくれた。「家で一人の時も多かった中で、義弥の家族は温かくて、安らげる場所だった」

     小川選手が中学1年の時、宗記さん(享年58)が肺がんで亡くなった。小川選手は「投げ方やスイング、漢字やマージャンなどいろいろなことを教えてくれた。本当に頭が良くて優しかった」と振り返る。その後も、小川選手が仙台育英に進学するまで、松倉さん一家との交流は続いた。小川選手は「自分にとって松倉一家は家族。よしパパとよしママは第二のお父さんとお母さんだし、義弥たちも兄弟」と感謝する。

     小川選手は昨秋の地区大会から背番号「7」でベンチ入り。昨秋の大会では全13試合で打率4割5分5厘とチームを盛り上げた。しかしセンバツ直前、調子を落としてレギュラーから外れた。そんな時も真弓さんや遼さんは「レギュラーでもベンチでもどこにいても、拓馬の全力でやる姿を応援しているよ」と声を掛けた。その言葉が励みになった。

     この日、松倉さんと一徳さんは応援に来ることができなかったが「夏も甲子園に出たら必ず見に行く」とエールを送る。小川選手は「夏に向けて調子を上げて、次こそ、みんなに自分のプレーを見せたい」と力を込めた。【真田祐里】

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