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私も恋をした・センバツ球児へ

山形弁操るタレント ダニエル・カールさん

日本への留学中のエピソードを語るダニエル・カールさん=東京都世田谷区で、藤井太郎撮影

 <2017 第89回センバツ高校野球>

    勝負超え母校に誇りを ダニエル・カールさん(56)=智弁学園留学

     友達とブルース・リーの映画を見に行ってかっこいいなあ、やりたいなあと思っておやじと相談したら、町にできた空手道場に通うことになりました。日本の話を先生に聞いて、本場日本でやってみてえなあとなって。で、高校2年の時にチャンスが来て智弁学園に留学しました。

     毎日がチャレンジでした。元気で明るい学校で、どんな質問にも答えてくれる人がいっぱいいました。日本語が下手なのに、皆さんが一生懸命話を聞いてくれて、そのおかげさまでおらも頑張れました。「恋」をするほどのチャレンジだけれども、家族や国から離れて慣れない毎日で、疲れることもありますよね。食べ物も初めてかまぼこを見た時は消しゴムと思って……。ちっちゃいことだけど、そういう繰り返しなんですよ。

     そういえば、智弁に着いてすぐにセンバツの応援があったんです。応援団にはびっくりしましたね。男ばっかりで上着がやたら長くて、はちまき巻いて太鼓をたたきながら「フレー」とか言ってるけど、「フレー」って何だべって。カルチャーショックはたっぷりいただきましたですね。

     留学の経験を通じて人生はかなり変わりましたね。それまではあんまりしゃべらない青年だったかな。硬派ですね。人生は前向きであらねばならないと分かったのは智弁に来てからだな。毎日がショックで、アドベンチャーで、ドキドキハラハラの1年間でしたから。留学したおかげさまで視野が広くなりましたね。

     センバツも勝ち負けはそんなに関係ねえんだよ。甲子園に行っただけで一生の思い出なんだから。勝つのも負けるのもフィフティーフィフティーなんだから。母校に誇りを持ってめげずにどんどんチャレンジしてほしいですね。【聞き手・石川貴教】=つづく


     ■人物略歴

    Daniel・Kahl

     米カリフォルニア州出身。智弁学園に1977年3月から1年間留学。大学卒業後、81年から3年間、英語指導主事助手として山形県に赴任。その後、山形弁を操るタレントとして活躍。

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