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勝負心・春

2018センバツ中央学院 第4部・4人のコーチ/2 社会人野球の経験伝授 菅井聡コーチ /千葉

菅井聡コーチ

 <第90回記念選抜高校野球>

    菅井聡コーチ(30)

     「今でも試合の映像は五回途中までしか見られない」。2005年夏の千葉大会準々決勝の拓大紅陵戦。大観衆が見守る千葉マリンスタジアムで先発のマウンドに立った。しかし試合は中央学院リードから一転、味方の失策でリズムを崩し、自身も打たれて七回途中で降板。試合終了の瞬間、負けた実感は湧かなかったが、相手の校歌を聞くうちに自然と涙がこぼれ出た。「自分ってこんなもんだったのかな」

     小学1年で野球を始めて以来投手一筋。高校時代は1年春からベンチ入りし、最後の夏もほとんどの試合で先発した。プロを目指して練習してきたが、準々決勝敗退。「果たしてやっていけるのか」。そんな時、父の母校でもある立正大学から声がかかった。当時は東都大学リーグで1部に復帰したばかり。入学前に神宮球場での試合を見て「ここで投げたい」と決意した。

     立正大時代は中継ぎ投手に自身の価値を見いだした。チームの状況を見て自分の役割を理解することの重要性を知った。4年秋には1部リーグ初優勝を果たし、目標だった明治神宮野球大会でも優勝。卒業後は社会人野球の強豪・日本通運を選んだ。

     「まだ野球ができる」。そんな喜びを感じながら、持ち味である制球力をより高めること意識して投げ続けた。3年目には都市対抗野球埼玉県予選の代表順位決定戦で高校以来初の完投勝利。その年暮れには、県の優秀選手賞も受賞したが翌年、それまでのけがなどで腰痛が悪化した。登板機会は減り、監督から投手としての終わりを告げられた。「もう野球を本気でできる場所はないと思った」

     引退から1年がたった頃、相馬幸樹監督から中央学院に誘われた。「自分を必要としてくれている。社会人野球での経験を少しでも伝えたい」。周囲の反対を押し切って日本通運を辞め、15年8月、コーチに就任した。

     現在の役割を「今の(守られた)環境は当たり前じゃないと教えること」と話す。社会人野球で戦ってきたからこそ伝えられると自負する。「コーチをどんどん使ってほしい」とした上で、「伝わらないと意味がない」と選手ごとに言葉を選ぶようにしている。センバツに向けて「僕たちは最高の準備をするだけ。大舞台で選手たちが開花するか、ビビるのか、楽しみ」。


     ■人物略歴

    すがい・さとし

     1987年生まれ。中央学院高卒。投手として立正大時代に明治神宮野球大会優勝。社会人野球日本通運を経て、2015年から外部コーチ。主に投手を担当。

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