耳に残っているCMソングがある。「〓ぽんぽこたぬきのおまんじゅう。ぽんぽこぽんぽこ、ぽこぽん!」--。こちらまで跳びはねたくなるようなメロディー。それも「おまんじゅう」を「おまんジュッ」と歌っていたように思う。その底抜けに明るい歌声が、若かった私のこころに、それこそ「ジュッ」と焼き付いているのだ。昭和40~50年代、東京土産の定番だった饅頭(まんじゅう)。いつのころからか、そのCMも流れなくなった。あの銘菓はどこに行ったのだろうか。【津武欣也】
「ぽんぽこたぬき」。その銘菓をCMソングでなく、味で覚えている人がいた--。
「約30年前、帰省した息子が東京土産にくれた『ぽんぽこたぬき』。形が可愛く、味もよかった。しおりに書いてあった『たぬき他を抜く……』の言葉も忘れられません。あのお饅頭に、もう一度会いたいのですが」
広島県熊野町の台木幸恵さんからの便りだった。文面から推測して70歳代か。封の中から懐かしい包装紙が出てきた。
青や黄土色、あずき色の丸のなかに白抜きのタヌキの図、そして「名菓ぽんぽこ」の文字……。商標は歌で覚えていた「ぽんぽこたぬき」ではなかった。張ってあるシールの数字は「55・8・2」。昭和55(1980)年8月2日が製造日なら、なんと28年前の包装紙で、台木さんは蔵のタンスの中に敷いていたという。「よくぞ残していた」。台木さんの願いに応えなくてはならない。
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製造元の「ロバ製菓」(東京都渋谷区)は15年前に倒産していた。専務だった宮内慶人さん(73)が経緯を語る。
「創業者や、その一族がアズキ相場や不動産に手を出し失敗した。お菓子会社としては確実にもうかっていたのですが……」
一世を風靡(ふうび)した「ぽんぽこ」の誕生は、東京の街が姿を変える東京五輪の前年(昭和38年)だったという。
「銘菓の『ひよ子』と肩を並べる生菓子を売り出そう。タヌキはどうだ。タヌキ他を抜く福の神という言葉もある」。菓子業界の大物に勧められて案を練った。決まったのは「タヌキでなく、ぽんぽこ」で「これなら可愛らしい」と宣伝に知恵を絞った。
本社工場は五輪マラソンコースの甲州街道沿いにあり、「レース当日はトラック5台に『ぽんぽこ』の看板を乗せ、テレビ中継に映ろうと何回も往復した」と振り返る。
プロ野球のナイター中継、それも巨人戦の始まる前に集中的に流すコマーシャルも当たった。「関東ローカルだったけれど、一気に名前が知られた」。CMソングを歌っていたのは七色の声を持つ天地総子さん、包装紙はパッケージデザイナーの先駆者・木村勝さん作だったと言う。
「ぽんぽこ」の最盛期は昭和50年代で、JR上野駅の売店だけで月4000万円を売り上げた。ハワイ・ホノルルの有名ショッピングセンターにまで進出し、「あれは夢だったのかと思うことが今でもあります」と懐かしむ。
デパートでのタイコ焼き実演販売から始め、人生と企業の栄枯盛衰を味わった宮内さんにとって、「ぽんぽこ」はかけがえのないお菓子だ。そんな思いが、いったんは消えてしまった「ぽんぽこ」を復活させる。
ロバ製菓の倒産から約3年後の平成8(1996)年1月、宮内さんは、それまで奥さんが開いていた和菓子店(埼玉県所沢市)で新しい菓子を焼き始める。「ぽんぽこ」の型を元に、黄色のあんこをカステラ皮で包んだ饅頭だった。だが、おなじみの商標は譲ってもらえず、やむなく「ぽんぽこおやじ」と名付けた。「材料は砂糖、卵、ハチミツ、水あめ、小麦粉と重曹。『ぽんぽこ』より甘さを控えめに、よりシットリ感を出している」。宮内さんの手は、驚くほどに白く、柔らかだ。
「東京ぽんぽこ本舗」と名付けた会社の従業員は宮内さん夫婦と長男、長女の4人。週に1万2000個ほどを焼き、羽田・成田空港、東京駅地下名店街、自宅店舗の4カ所で販売している。
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所沢からの帰路、寄り道して京王線・幡ケ谷駅に降りた。この地には、かつてロバ製菓の本社工場があり、盛期には500人を超す社員がいた。訪ねると、そこにはマンションが建っているだけ。お菓子の香りはどこにもなかった。
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■購入など問い合わせ
東京ぽんぽこ本舗(電話04・2947・0008 ファクス04・2947・0007)。価格は8個入り787円、12個入り1050円、16個入り1575円(消費税込み、送料別)。地方発送も受け付ける。
毎日新聞 2008年5月26日 東京朝刊