風知草:まだ何も分からない=山田孝男

毎日新聞 2012年05月21日 東京朝刊

 物理学者、寺田寅彦(1878〜1935)の随筆「災難雑考」に「何時(いつ)来るかも分らない津浪(つなみ)の心配より明日の米櫃(こめびつ)」という警句がある。防災を説き疲れた寺田の晩年の筆。やけっぱちの毒気がこもる。

 昨年6月に出た「東日本大震災復興構想会議」(五百旗頭(いおきべ)真議長)の提言は結びでこのくだりを引き、原発事故が起きた以上、米びつ優先(安全軽視)の誘惑に負けて元のモクアミに戻るなと説いた。が、原発の安全はこころもとない。

 先週の話題の一つは国会の原発事故調査委員会ヒアリングだった。福島第1原発の1、3号機が爆発して2号機の冷却が止まった直後、東京電力社長は現地要員全員の撤退を政府に申し出たのか。海江田万里元経済産業相(63)は、そうとしか受け取れぬ電話があったと言い、勝俣恒久東電会長(72)は「事実ではない」と答えた。

 政府と東電のこの食い違いは今回初めて露見したわけではない。当時の菅直人首相、枝野幸男官房長官(現経産相)、福山哲郎官房副長官らも別の調査委の聴取で海江田と同じ認識を語っている。東電幹部は「一部撤退は探ったが、全員はない」と口をそろえている。

 食い違いそのものではなく、これほど重要な(その段階での全員撤退=制圧放棄は東日本全域の破滅を意味していた)事実関係がいまだ解明できないところに驚きがある。

 「災難雑考」で寺田は、北九州の山中に墜落した飛行機の破片をすべて取り寄せ、事故原因を突き止めた大学教授の逸話を紹介している。補助翼を制御する銅線1本の破断とネジ1個の脱落が惨事を招いた。教授はそれを立証し、事故の再発を防いだ。「実に胸のすく」業績だと寺田はほめている。

 ならば、原発事故の究明はどうか。破局の原因は地震か、津波か。分からない。あれこれ推測はできるが、放射線量が高くて近づけないから、実際に調べることができない。

 メルトダウン(炉心溶融)した3号機の場合、建屋の最新の線量は最高毎時160ミリシーベルト。防護服を着ても、そこに24時間いれば、人間の半致死量(=4000ミリシーベルト。30日以内の生存率50%)を浴びてしまう。

 要するに、事故の原因も、現状も、責任の所在も、まだ全く確定していない。寺田がほめたような、飛行機事故の原因解明に基づく合理的な再発防止策は望むべくもない。

 にもかかわらず、雇用、生産の減退、炎暑の停電など安全以外の不安−−寺田に従えば、明日の米びつが空では困るという恐怖−−にかられて原発再稼働待望論が広がった。

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