社会・カルチャー戦国武将の危機管理

武田信玄が父追放クーデターの挙に出たわけ

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 天文10年(1541年)6月14日、甲斐の戦国大名武田信虎が、隣国駿河の今川義元のところに出かけたとき、信虎の息子晴信、すなわち信玄が甲駿国境を封鎖するという事件がおきた。「武田信玄のクーデター」といわれている。信玄が実父を追放し、自分の力で家督を奪い取ったということで、いかにも戦国的な家督交代劇として有名である。

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com