1979年の箱根駅伝で、瀬古利彦さんからタスキを受ける黒木亮さん(右)=講談社提供
1979年の箱根駅伝で、瀬古利彦さんからタスキを受ける黒木亮さん(右)=講談社提供

社会・カルチャー経済プレミアインタビュー

箱根3区を走った作家・黒木亮さん「駅伝は人生の宝」

編集部

作家の黒木亮さんインタビュー(1)

 日本のお正月の風物詩ともいえる箱根駅伝。「巨大投資銀行」「赤い三日月」といった経済小説で知られる作家の黒木亮さんは、早稲田大学在学中の1979年と80年の2回、箱根駅伝に出場した。黒木さんはその体験を「冬の喝采」につづったが、最新エッセー集「世界をこの目で」(毎日新聞出版)でも、当時低迷していた早稲田大競走部を復活させた“不器用な闘将”故中村清監督のエピソードを収録している。黒木さんに箱根駅伝の今昔を語ってもらった。【聞き手・毎日新聞出版、柳悠美】

 −−今注目しているチームはありますか?

 ◆黒木亮さん 選手のころライバルだった日体大や順天堂大は、いまも気になります。北海道の田舎の中学生のとき、練習に参加させてもらった拓殖大学、今年は出られませんでしたが、同じ北海道出身の選手がたくさん入った国士舘大学、私の20キロメートルの北海道記録を破った中野孝行さんが監督を務める帝京大学、父親がかつて駅伝主将を務めた明治大学など、いろいろな学校と縁があって応援しています。一番気になるのはもちろん、母校早稲田の後輩たちの走りですが。

瀬古選手からトップでタスキを受け継ぐ

1979年の箱根駅伝で3区を走る黒木亮さん=月刊陸上競技撮影
1979年の箱根駅伝で3区を走る黒木亮さん=月刊陸上競技撮影

 −−黒木さんは大学3年の第55回大会で、瀬古利彦さんからタスキを受けて3区を走りました。レースのどんなことが印象に残っていますか。

 ◆瀬古さんからタスキをもらったときは首位でした。えんじ色のタスキを握ったときの感触は、今も手に残っています。走り出すと、真正面に報道車があって、荷台にズラッと10本くらい大砲のようなカメラを構えたカメラマンたちがいて、私に焦点を合わせ、さかんにシャッターを切っていました。生まれて初めて見る光景で、「これが全国的な大会で先頭を走ることか!」と頭がくらくらしそうになりました。その日は快晴で相模湾が銀色に輝いて美しかった。そのままトップでタスキをつないだときは、涙があふれて止まりませんでした。

 −−当時といまで違いを感じる点は?

 ◆1987年にテレビ中継が始まり、大学、監督、選手の意識も質も大きく変わりました。レースは平均視聴率20〜30%という「お化け番組」になり、優勝すれば大学の宣伝効果(イコール受験料収入の増加)は絶大です。大学をあげて強化しているチームは青山学院大、東洋大、駒沢大、東海大、山梨学院大、城西大、明治大、東京国際大など数多くあります。私が大学4年の時の大会で、1位と2位だった日体大と順天堂大は逆に少子化で教員人気が低下し、かつての面影はありません。大学も経営が年々厳しくなっていますから、宣伝材料としての箱根駅伝は大きな存在です。

 −−黒木さんが住む英国にも駅伝はあるのですか?

 ◆駅伝は日本だけですね。英語ではマラソン・リレーなどと訳されますが、「箱根駅伝を走った」と英国で言っても、理解してもらえません。日本独特の競技ですね。しかも大学生のレースでここまで注目されるのは普通あり得ないことだと思います。

 英国は気候も涼しく、自然環境にも恵まれていて、今国際陸連の会長を務めているセバスチャン・コー氏など、数多くの世界的中長距離ランナーを生み出していますが、駅伝競技のことを知っている人はほとんどいません。

 −−駅伝を走る選手のレベルは変わりましたか?

 ◆レベルはすごく上がっています。私が現役だったころ、5000メートルを14分台で走れる高校生は全国で15〜20人でしたが、今は300人います。箱根駅伝を走る選手たちも、トラック競技のようなスピードで走っているし、区間記録も毎年更新されていくので驚かされます。

 かつて、各校の選手たちが数秒単位で競り合いながら中継所に入ってくる光景は、1区から2区への鶴見中継所でしか見られませんでしたが、今は大手町のゴールでもそうなっています。

 箱根駅伝が「ショー化」したことで、過剰な練習量やプレッシャーが選手にのしかかっているのも事実です。中学、高校時代から大学、実業団並みの練習をするので、けがでつぶれていく選手も非常に多く、見ていてかわいそうです。

練習メニューをこなすのに必死だった選手時代

 −−どんな学生生活でしたか?

 ◆とにかくけがをしないで、その日その日の練習メニューをこなすのに必死でした。でも授業もちゃんと出ていましたし、成績も普通の学生よりはかなり良かったです。

 英語の勉強も毎日続けて、大学を卒業して銀行に入ったときの英語の試験では、大卒同期約170人中3〜4番目の成績で、すぐ海外駐在ができるレベルという判定をもらいました。いつでもどこでもできる読書は学生時代からの趣味で、これは作家になってからも役に立っています。スポーツだけの人生では嫌だと、中学時代から思っていました。

 −−練習で思い出に残っていることは?

 ◆中村監督の指導は走ることよりも、生活規律に関するものが多かったですね。一番言われたのは礼儀作法と整理整頓です。これは全スポーツ共通で、東洋大学の酒井俊幸監督、駒沢大学の大八木弘明監督、シンクロ日本代表チームの井村雅代ヘッドコーチなど、口をそろえて言っています。だから、運動部の選手たちは皆すごくしっかりしています。就職で企業から重宝されるのも当然でしょう。

早稲田大学競走部の北海道合宿で、練習前に訓話をする故・中村清監督=1979年7月撮影
早稲田大学競走部の北海道合宿で、練習前に訓話をする故・中村清監督=1979年7月撮影

 −−箱根駅伝は、黒木さんの原点ともいえる経験だったのでは?

 ◆そうですね。高校1年でインターハイに出場した時、北海道ではトップレベルでも、全国には一段も二段も上の選手たちがいることを思い知らされました。全国レベルで戦える選手になろうと決意し、箱根まで歯を食いしばりました。作家となった今もその意識で仕事をしています。

 中村監督は本当にクセのある指導者で、いまなら「パワハラ」間違いなしですが、「天才は有限だが、努力は無限の力を引き出す」という言葉は僕の人生の宝となっています。今でもロンドンのスーパーで牛肉を見ると、中村監督が家に選手たちを呼んでふるまってくれた、武骨なステーキのことを思い出します。

黒木亮さん
黒木亮さん

黒木亮さんの略歴

 黒木亮さん(くろき・りょう)1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学大学院修士(中東研究科)。都市銀行、証券会社、総合商社勤務を経て作家となる。デビュー作は2000年の「トップ・レフト−都銀vs.米国投資銀行 」(祥伝社文庫)。

 <黒木亮さんのインタビューの2回目は、1月13日に掲載します。2回目のテーマは、黒木さんが小説「排出権商人」で取り上げた温室効果ガス排出権ビジネスです>

編集部

編集部

長く経済分野を取材してきた今沢真・毎日新聞論説委員を編集長にベテラン・若手編集者が経済・社会の最新情勢を追います。
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