戦国武将の危機管理

やる気を失った主を滅ぼして家を守った陶晴賢の決断

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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 陶晴賢(すえ・はるかた)は、はじめ名乗りを隆房といっていた。大内義隆の重臣で、周防守護代をつとめ、主君義隆から偏諱(へんき=名前を1字与えること)を与えられ、隆房と名乗っていた。

 その陶晴賢の主君である大内義隆は、周防に加え、長門・豊前・筑前・備後・石見・安芸の7カ国の守護職を兼ね、戦国大名として、中国地方から九州北部を支配しただけでなく、京都の公家を多数迎えるなど、文化人大名としても有名だった。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com