戦国武将の危機管理

福岡城天守を壊して藩を守った黒田長政の外様魂

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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 福岡城に天守があったかなかったかは、長い間論争となっていて、それは今も続いている。

 天守がなかったとする論者は、黒田家関係の史料に、天守建造について記述したものがないことと、正保3(1646)年作成の「福博惣絵図(ふくはくそうえず)」に天守は描かれておらず、「天主台」とだけ書かれているからである。

 それに対し、天守はあったとする論者は、そのころ小倉藩主だった細川忠興の「細川家史料」に、黒田長政が「天主なとをくつされ候」とあることと、山口県文書館所蔵の「九州諸城図」に天守らしき建物が描かれていることから、天守は建てられたとみている。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com