社会・カルチャー戦国武将の危機管理

落雷に備えて子3人を分散させた家康のリスク感覚

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 避雷針が発明される以前、雷は脅威であった。特に高層建築である天守にはよく雷が落ちている。防ぐ手だてはなく、天守のすぐ近くに天守と同じくらいの高さの木を植え、避雷樹とした例もあるが、あまり効果はなく、全国の城を調べると、落雷によって天守が焼失したという事例は多い。

 また、戦国武将の中には雷の直撃を受け、大けがをした者もいた。豊後の戦国大名大友宗麟の重臣で、軍師ともいわれる立花道雪は、雷にあたり、足が不自由になり、馬に乗ることができず、手ごしに乗って戦場を走りまわったことが知られている。雷の直撃を受けて亡くなった者、屋内にいて、雷による火災で命を失った者も少なくなかった。

 このことに関して、徳川家康にまつわるエピソードがある。家康は、慶長10年(1605年)、将軍職を子…

この記事は有料記事です。

残り937文字(全文1275文字)

小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com