社会・カルチャーベストセラーを歩く

ネタバレ注意!村上春樹「騎士団長殺し」は優れたホラー

重里徹也 / 文芸評論家、聖徳大教授

 前半とても面白くて夢中になって読み進んだのだけれど、途中から(第2部の真ん中あたりから)、やや物足りなさを感じた。村上春樹の新作「騎士団長殺し」2冊を数日間で読了しての率直な感想だ。

 主人公は36歳の画家。妻との離婚話が起きて、彼がある年の5月から9カ月余を神奈川県小田原市郊外の山荘で過ごした日々が描かれる。

 主人公の「私」が奇妙な世界に巻き込まれる一人称小説だ。しかも彼は、他の誰かによって描かれた図に従って自分が動いているように感じている。読みながら、先行作品では「羊をめぐる冒険」や「ねじまき鳥クロニクル」と似たテイストを味わった。

ここからは本当のネタバレ

 以下はネタバレになる。

 今作には村上の愛読者にはおなじみの要素がさまざまにちりばめられている。何かのサインなのだろうか。

午前0時に販売が開始された村上春樹さんの新刊「騎士団長殺し」=福岡市中央区で2017年2月24日、和田大典撮影
午前0時に販売が開始された村上春樹さんの新刊「騎士団長殺し」=福岡市中央区で2017年2月24日、和田大典撮影

 成長過程の少女が重要な役割を果たす、主人公と妻の関係がうまくいかない、死んだ女性にポイントが置かれる、物干し台で会話をする、変な宗教団体が出てくる、生き霊が登場する、想念のセックスで妊娠する、認知症の老人が登場する、暗闇が支配する地中を主人公が旅する、中国における日本軍の蛮行があらわにされる、などなど。

 クライマックスで「風の音に耳を澄ませて」という言葉が出てきたのには驚いた。もちろん、村上のデビュー作を思い出させたからだ。

 つまり、印象を一言でいえば、村上のベストアルバム、オール・アバウト・ムラカミを読んでいるような感じだった。1人暮らしの30代の主人公が冒険すること自体、村上作品の読者にはおなじみのものだ。

不思議な現象を現実と地続きで描く

 そうはいっても、抜群に面白い。これだけ引き込まれる小説を書ける人は今の日本に村上以外にいないという評者もいるが、同意する。

 特に不思議な現象を現実と地続きで描き出す力量は特筆すべきものだろう。怖い事象が次々に起こり、優れたホラー小説の味わいがある。

村上春樹さんの新作を買い求める人々=東京都渋谷区で2017年2月24日午前0時7分、猪飼健史撮影
村上春樹さんの新作を買い求める人々=東京都渋谷区で2017年2月24日午前0時7分、猪飼健史撮影

 画家が主人公ということで絵画をめぐる述懐や会話が頻出するが、いずれも興味深かった。絵というものが持つ奥深さにしばし誘われた。

 また、近代日本画の成立をめぐる対話には、村上の変わらない近代史への関心をうかがわせる。グローバリズムと地域主義のあつれきと読めば、きわめて現代的な問題だ。

 例によって、作品は謎に包まれている。小説のタイトルはモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」から取られている。女たらしの貴族(ドン・ジョバンニ)に娘の寝室に忍び込まれた騎士団長が、その貴族と決闘し、逆に殺される物語だ。石像となった騎士団長はその貴族を地獄への道連れにするという結末が待っている。

オーストリアの悲劇が背景に

 小説では、このオペラに高名な日本画家の第二次世界大戦前夜のヨーロッパ体験が重ねられている。ナチス・ドイツに併合されたオーストリアの悲劇が背景にある。

村上春樹さんの新作を購入し、早速読み始める人々=東京都渋谷区で2017年2月24日、猪飼健史撮影
村上春樹さんの新作を購入し、早速読み始める人々=東京都渋谷区で2017年2月24日、猪飼健史撮影

 結論としてのメッセージを思い切り単純化すれば、ファシズム体制や暴力への嫌悪と、何気ない日常生活の大切さをうたった小説と思われる。しかし、細部を理屈で読み解こうとしても、なかなか一筋縄ではいかない。否定的なものとして登場する「二重メタファー」など、意味がつかみにくい言葉も出てくる。

 前半部が快調なのは、ユーモアに満ちているのも理由の一つだ。読んでいて、何度か大笑いした。たとえば、「騎士団長」なる奇妙な人物(「イデア」が形体化したものなのだが)が発する言葉。少し引用してみよう。

 「かまうもかまわないもあらないよな」「あたしは夢なんかじゃあらないよ」

 主人公を、一人なのに「諸君」と呼ぶ、この不思議な存在のおかしな言葉に付き合っていると、笑いがこみあげてくる。同時に、この人物の体温が伝わってくる。私は声を上げて笑いながら、村上のまぎれもない才能を痛感した。

    ◇    ◇

 「ベストセラーを歩く」は原則、月1回の連載です。4月は直木賞を受賞した恩田陸「蜜蜂と遠雷」を取り上げます。どうぞお楽しみに!

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重里徹也

重里徹也

文芸評論家、聖徳大教授

1957年、大阪市生まれ。大阪外国語大(現・大阪大外国語学部)ロシア語学科卒。82年、毎日新聞に入社。東京本社学芸部長、論説委員などを歴任。2015年春から聖徳大教授。著書に「文学館への旅」(毎日新聞社)、共著に「村上春樹で世界を読む」(祥伝社) などがある。

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