スキル・キャリア職場のトラブルどう防ぐ?

上司が指示した「終業後の自己研さん」は労働時間か

井寄奈美 / 特定社会保険労務士

 A男さんは、従業員数約50人の事務機器卸会社の営業課に配属された20代前半の新入社員です。直属の上司で40代後半のB課長の指導方法に困り、労働時間の取り扱いに疑問を感じていました。どういうことでしょうか。

 B課長の指導方針は「先輩の背中を見て覚えろ」「理屈を言うな。行動して体で覚えろ」でした。入社初日に、A男さんの自己紹介が終わると、自社の製品カタログと名刺を渡し、午後には一人で飛び込み営業に出すような指導スタイルです。

 2日目からは先輩の営業に同行するようになりました。先輩たちがローテーションを組んで、日々違う先輩に連れられてさまざまな会社を訪問しました。新規の飛び込み営業だけでなく、納入した製品のメンテナンスのために契約先を定期訪問するルート営業もあります。A男さんはいずれも初めての経験で、毎日疲れ果てながらも最初の1カ月を乗り切りました。その間は、ほぼ定時に退社することができました。

リポート提出と業務見習いを強制

 2カ月目に入り、会社に少し慣れてきたころ、A男さんはB課長に呼び出されました。そして、数冊の本を渡され、2週間に1回、読んだ本のリポートを書いて提出するよう指示されたのです。

 日中は先輩に同行し外出しています。A男さんが「リポートはいつ書けばいいのですか」とB課長に聞くと、「そんなもん自宅で書くに決まってるだろ。自分の勉強のためじゃないか」と返されました。A男さんは帰宅後に本を読み、休日にリポートを書いてB課長に提出するようになりました。

 さらに、先輩社員に同行するだけでなく、帰社後の見積書作成などの事務作業も見て覚えるよう命じられました。これまではほぼ定時に帰宅していましたが、事務作業をすれば残業の必要があります。

 A男さんの会社では、残業する際は残業申請書を上司に提出して承認されなければなりません。B課長に提出すると、「A男くんは残って何か仕事をするのか? 残業は仕事をするために残ることを言う。君は勉強のために、先輩の作業を見せてもらうんだろ。それは勉強の時間であって仕事ではない」と、申請書を突き返されてしまったのです。

 A男さんは、休日のリポート作成や終業後の業務見習いが「勉強のため」と言われても仕方がないのかと考えました。先輩に聞いても、「仕事を覚えるためには仕方ないよ。みんな通ってきた道だ」と言われます。しかし、勉強は指示されたもので、仕事のためにしています。会社から強制されるのは仕事ではないのかと疑問に感じています。

使用者の指揮命令下にある時間は労働時間

 B課長が言う「勉強の時間」は、労働時間なのでしょうか。厚生労働省は、今年1月に策定した「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」で、「労働時間とは、使用者の指揮命令下に置かれている時間のことをいい、使用者の明示または黙示の指示により労働者が業務に従事する時間は労働時間に当たる」としています。

 例えば、労働時間には「参加することが業務上義務づけられている研修・教育訓練の受講や、使用者の指示により業務に必要な学習等を行っていた時間」も含まれます。ただし、その判断は、使用者の指揮命令下にあったかどうか、どの程度の義務づけがあったかどうかなどの状況から個別に行われます。

 B課長は一日も早く新人を育てたい思いで、仕事に役立つと考える本をA男さんに読ませ、内容を身に着けてもらうためにリポート作成も命じました。終業後の業務見習いも、顧客からの電話などが少なくなる落ち着いた時間帯に学んでほしいという考えでした。

 しかし、A男さんに業務命令としてそれらを強制すれば、労働時間と判断される可能性が高くなります。終業後の業務見習いは、A男さんが使用者の指揮命令下にあることが明らかなので労働時間です。

 自宅でのリポート作成は、A男さんが提出しないことで受ける不利益の有無や完成までにかかる時間などが考慮され、労働時間かどうか判断されるでしょう。

就業時間中に部下を育成指導する仕組みを

 例えば、本を渡してリポートの提出を課すのではなく、いつでも貸し出せる本を用意し社員が自由に借りられるようにします。そして、朝礼などを利用して、新入社員だけでなく部署のメンバーが持ち回りで自分の読んだ本を紹介するといった取り組みも一つの手です。月1回や2カ月に1回であれば、それほど大きな負担にはならないでしょう。

 新人社員に書類作成や伝票処理の仕方を覚えさせるのであれば、就業時間中に行いましょう。指導や質問の時間を「終業後のみ」とするのではなく、就業時間中や終業後でもいつでも上司や先輩が対応できる環境を作ることが大切です。

 労働時間以外は、社員の私的な時間です。上司は社会人の先輩として自分がやってきたことを部下に勧めたいという思いもあるかもしれませんが、社員の私的な時間に仕事に関わることを強制できません。上司はそれを知った上で部下を育成指導する必要があるのです。

 <「職場のトラブルどう防ぐ?」は原則金曜日に掲載します>

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井寄奈美

井寄奈美

特定社会保険労務士

大阪市出身。2015年、関西大学大学院法学研究科博士前期課程修了。現在、大阪大学大学院法学研究科博士後期課程在籍中(専攻:労働法)。01年、社会保険労務士資格を取得。会計事務所勤務などを経て06年4月独立開業。井寄事務所(大阪市中央区)代表。著書に『トラブルにならない 小さな会社の女性社員を雇うルール』(日本実業出版社)など。http://www.sr-iyori.com/

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