社会・カルチャー戦国武将の危機管理

「謀反人・光秀の誘いを拒絶」蒲生賢秀が称賛された理由

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 蒲生(がもう)氏は近江の戦国大名、六角氏累代の重臣だった。賢秀の「賢」は六角義賢(承禎)の一字をもらい受けたものである。

 ところが賢秀は、永禄11(1568)年9月、織田信長が近江に進撃してきたとき、いち早く臣従し、そのとき、鶴千代と名乗っていた子氏郷を人質として出している。信長は氏郷を気に入り、翌年には自分の娘(のちの相応院)と結婚させているのである。

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com